0625
朝起きて友人宅へ向かい、昼からバーベキューをした。かなり暑かったが、パラソルがあればなんとかしのげる程度だったのでよかった。7月だったらダメだったろう。
友人の子は前よりすこし成長していた(ような気がする)。発声はできないが簡単な指示には応じられる、そういう段階が存在するんだなと思った。当たり前といえば当たり前かもしれない。
さて、楽しかった。楽しかったが、それはそれとして、俺の日曜日はどこへ?
朝起きて友人宅へ向かい、昼からバーベキューをした。かなり暑かったが、パラソルがあればなんとかしのげる程度だったのでよかった。7月だったらダメだったろう。
友人の子は前よりすこし成長していた(ような気がする)。発声はできないが簡単な指示には応じられる、そういう段階が存在するんだなと思った。当たり前といえば当たり前かもしれない。
さて、楽しかった。楽しかったが、それはそれとして、俺の日曜日はどこへ?
全世界的にUFOの日。
昼頃に起きて、まあ土曜日の常として特に何もせず夕方までダラダラ過ごした。「星座になれたら」のサビを少しやった。これもそんなに難しくはないが慣れは必要だ。
夜はNetflixでドラマを観た。こうしてみると日本もアメリカも(しばしば言われることとは反して)仕事や人間関係の問題は大きくは変わらない気がする。訴訟社会だな〜と思うことはあるけど。
寝ます。明日は友人達とバーベキュー。
病院で出た目薬をさしていたら眼の調子はだいぶ良くなってきた気がする。気のせいかもしれないが。
仕事はなんかデプロイまわりをガチャガチャしていた。ステージング環境とは別に検証環境があり、デプロイの設定はいろいろ異なるのだが、異なるのはデプロイ時の設定だけにしてソフトウェア的には同一にしたいのだが、こういうのは最初にやらないとなかなか大変だ。いろいろゴニョゴニョしてたらなんとなくいけそうな感じにはなってきたが、完成する前にタイムアップ。
夜は「さかなのこ」を観た。怪作というか、なんというか。シュールギャグ部分はとても良かった。どの程度実話なのかは知らないけども。
寝ます。
朝起きたらいきなり閃輝暗点が出て、ハァーとなった。なんか気圧がいきなり下がったらしく、会社では他にも頭痛を訴える人がいた。僕の理解している範囲のメカニズムでは気圧と偏頭痛の間にどういう関係があるのかはよくわからないが、気圧のせいだと思っておくとなんとなく気分が安らぐ。
仕事は地味な作業をしてた。検証環境とステージング環境との差分をなくすという(地味だけどいざという時に効いてくる)作業。目処は立ってきたので明日は動作確認をしたい。
夜は焼肉に行った。行きつけの焼肉屋は、最近人手不足なのかレスポンスがあまり良くない。がんばってほしいなと思う。
教育虐待が話題になっていた。自分が子を持ったとしたら、やはり一番心配なのは自分がそれをやる可能性だ。僕もけっこう無茶な教育を施されてきたと思うが、幸か不幸か僕はそれに耐えてしまったし、その結果にそれなりに満足もしてしまっている。
僕の子はそうではないかもしれない。しかし、そうであるかもしれないのだ。その判断を正しくできる自信はないし、正しくできるまで待つことができるとも限らない。
親が子にできることとは何なのだろうかと、この数年はたびたび考える。とにかく環境を整えることは挙げられるだろう。適切な階段を用意することもそうだろう。しかし、それだけで良いのだろうか。良いとは?
子は僕ではない。しかし、その他大勢と同じような他者でもない。愛するということは、語られうる道徳を逸脱することではないか。誰かを、自分でも、置換可能なその他大勢でもないものとして扱うこと。一人称と道徳の中間地点。私の言葉でも、普通の言葉でもない言葉がなければ、そこに立つことはできない。
夏に至ると書いて夏至。長い紐と書いて長紐。
仕事の前に眼科に行った。目薬が二種類出た。そんなことあるんだ。
先日買った木製のパズルが届いたので仕事の合間にすこし考えてみたが、なかなか難しい。探索の自由度は高くないし、いくつか非自明なテクニックも見つけたのだが、まだ解けていない。ふうむ。
寝ます。明日は焼肉に行くかも。
相変わらずの調子。喉に時々違和感だけある。巷では変に長引く風邪が流行っているという。それかもしれない。
仕事は会議少なめだったが、レビューとかしてたら自分の実装はそれほど進まず。移植するだけみたいなものなのだが、内容について考え始めるとあれこれ手を入れたくなってしまい、効率が悪い。考え始めない方がよい。しかし、自分でもわかっていないコードをコミットするのは、避けたい。特に検証しづらい部分については。
「出会って4光年で合体」を読んだ。読んで、しばらく呆然としていた。個人的に「Self-Reference ENGINE」以来の衝撃を受けている。何を読まされているのかわからないのにページをめくらされてしまう体験。こんなアクロバットがこんな高いレベルで実現しうるとは。
こういうものを読むと憧れてしまう。本当は嫉妬しているけれど、競うような成果を一切出したことのない人間にそれは烏滸がましすぎる感情だから、ただ憧れている。こういうものを書きたかった。まだこういうものを書きたい。
寝ます。
体調は万全ではないが、仕事に差しつかえはない感じ。夜更かししたので眠かったけど。会議がちな日だった。月曜日はこうなりがちだ。
「星座になれたら」喜多ちゃんパートのイントロ〜AメロBメロまでは(すごく頑張れば)弾けそうな目処が立った(気がする)。少なくとも、今の自分に想像もつかないような難易度ではなさそうで、あとは反復練習だ。まあ、リズムギターなので、独りで弾いててもすっごい格好いいわけでもないけれど、しかし、これが僕がギターを始めた理由だからな。
意志決定において、定量的な指標と、そうではない指標とがある。定量的な指標は、数値化されていて、客観的で、何らかの明確な基準が存在していたりする。そうではない指標は、有り体にいえばお気持ち。定量的な指標はそうではない指標に比べて重視されがちである。客観的であり、明確な基準が存在するのだから。そうではない指標を無視するとき、彼らは心底残念そうに、「でもそれは客観的ではないから」と言う。しかし内心では(あるいは無意識のうちには)歓喜しているのだ。定量的な、客観的な、誰にでも(自分にも)理解可能なもので世界を覆い尽くして、そうではない、他人の心情やその他の困難な交渉の必要な事柄を世界から追放する口実を得たことに。そこには、自分が理解でき、制御できるものだけを世界と呼びたい、清潔な利己主義が存在している。(それでなにが悪いんだ?客観的でない基準で物事が決定されることで、どれだけの悲しみが生まれてきた?)
寝ます。
だいぶ元気になったような気がしている、のだが、十分ではないようにも思われる。お腹が痛い。
TwitterのAPI変更で停止しているねこせぼ復活について少し考える。このLLM全盛時代にいまさら元のマルコフ連鎖botを復活させる意味とは……という気持ちはあり、じゃあLLM仕様で作り直すか?というアイデアはある。でもなあ、意味があるんだかないんだかの微妙な発言が出てくるのが面白いんであって、普通に意味のあることを言うようでは、それはどうなのかなあ。
微熱はようやく収まりつつあるが、まだあまり元気ではない。明日は元気になれそうな予感はある。まあ、こんな時間まで夜更かししてるくらいだし、幾分か元気ではあるのだろう。
微熱が続いている。仕事は休み。歯医者は延期。はー。一体なんなんだ?これは。