0220
会社の業務体験ということでオフィスに行き、一日中立ち仕事をした。普段開発に関わっているシステムが実際に使われる場面や、実際の現場の雰囲気を知ることができ、とてもインスピレイションを受ける体験だったが、とにかく肉体がついて行けず、腰が破壊されてしまった。最後らへんは本当に辛そうな顔をしていただろうと思う。やれやれ、いつの間にこんなに軟弱に?(とはいえ、一日に7時間も直立していて大丈夫だったことなど僕の人生にはそもそもないのかもしれない)
疲れすぎたので、今日はそれだけにします。
会社の業務体験ということでオフィスに行き、一日中立ち仕事をした。普段開発に関わっているシステムが実際に使われる場面や、実際の現場の雰囲気を知ることができ、とてもインスピレイションを受ける体験だったが、とにかく肉体がついて行けず、腰が破壊されてしまった。最後らへんは本当に辛そうな顔をしていただろうと思う。やれやれ、いつの間にこんなに軟弱に?(とはいえ、一日に7時間も直立していて大丈夫だったことなど僕の人生にはそもそもないのかもしれない)
疲れすぎたので、今日はそれだけにします。
なんか夜中に発熱してしまって仕事を休んだ。ずっとお腹が痛いのでまあなんか胃腸炎か何かなんだと思う。やれやれ。体力が尽きたせいなんだろうか。
ともあれ寝ます。
結婚してから3年が経った。なんか早くない?3年ってこんなものだったか。このまま進むとスッと10年とかになってしまう気がする。あんまりスッとそうならないように日々を積み重ねていきたいね。(#今日の積み上げ)
体調は幾分回復した。もう熱は出ていないが、まだお腹の調子は不穏なままだ。あまり食べないようにしている。午前中はすこし頭が重かったが、午後には回復した。
「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いがあるらしい。「あるらしい」というのは、自分自身が問いかけたことも、問いかけられたことも記憶にないからで、しかしこういうのを青少年が大人に問いかけて困らせたりしているらしい。
まず明らかに、ほとんどの国では殺人は法的に禁止されている。それは、そのような規則なしに安定した社会を持続させるのは難しいからだと答えられる。また、例外的に殺人が許容される場合(刑罰など)があることも、(怪しい部分はありつつも)一応説明ができる(独裁者が秩序の維持の目的で反抗的な国民を殺すパターンも許容できてしまうが、とりあえずは現にそうなってはいないことが多い)。
法的な問題を無視した場合、人を殺してはいけない究極的な理由があるのか、と問われれば、別にないだろうとは思う。別にないのだが、「別にない」という回答をおおっぴらに人々が語るようになってしまえば、法律だって形骸化してゆく。そうなれば、法律によって達成されたかに見えた社会の安定化の効果は失われてしまうだろう。だからこの回答は悪い回答で、つまりこの問いに道徳のレベルで正しく答えることはできない。「やめておけ」と言うことしかできないのだ。
こういう二重の回答で納得してもらえるだろうか。それとも「仮にそうだとしても、そう答えることはできない」というあたりに、大人の薄汚さみたいなのを感じとられるだろうか。
典型的な休日と同じように、昼頃に起きて、ギターを練習して、コードもすこし書いた。Misskeyをすこし偵察したり、ローカルで起動させて観察したりした。Mastodonよりはこちらを参考にしたほうがいいかもな。実装を読むならRailsのほうが慣れてて楽なのだけど。
あとは妻に髪を切ってもらった。その間本を読んだ。期待したほどの内容がなかったのでフームと思った。
寝ます。
中一日での登板。やはりまだ本調子ではないがやりたかったことは半分くらいは終わらせた。ただ今日作るつもりだったスライドが何一つ手つかずである。月曜日の午前でなんとかする。
「サクラノ刻」が発売されたので、復習のために「サクラノ詩」をプレイしている。これ2015年の作品なんだな。いや、それはわかっているんだが、引き算して7年前と思うとけっこう驚きがある。あれからもう7年??いや、冷静に考えるとそうであっておかしなことは何一つないが……。こういう感覚はいまだ慣れない。慣れることなどないのだろう(ほとんど自明にそうだ)。
しかし、なんというか、しばらく離れている間にこういうノベルゲームの日常パートとかがかったるく感じられるようになってしまったような気がする。いや、昔からそれはそうだったか?でもずっと昔にはそういうのも含めて楽しんでいたような気がするけど。あれか。ギャルゲーなのにギャルゲーとして楽しむということをもうできなくなったのか?いやいや、それこそそんな時期あったか?
このペースだと土日の間に「サクラノ刻」に到達できるか怪しい。でも復習なしで読むのも無理があるし、やっていくしかない。
寝ま。
昼に起きてずっとゲームをしている。「サクラノ詩」、まだIII章を埋めてるところなので半分行くかどうかくらいか?けっこうざっくりスキップしているけど全然終わらない。
今夜は妻が所用で留守にしていて独りでいる。こうして独りで夜更かししてノベルゲームをやっているのは、ずっと昔を思い出すなと思う。思い出し、重ねてみて気づく、違っている部分。似たようなことをしているようでいて、やはりずいぶん遠くまで来たものだと思う。
immoralであることは言語で記述できるが、amoralであることは語り得ない。真に道徳的であるためには黙ってやるしかないのと同じように、真にamoralであるためには黙ってぶち壊すしかないのだ。
今日も昼頃に起きてゲームをした。夜まで掛かってようやく「サクラノ詩」クリア。
やはりね、VI章は本当に好きだし、というか僕が小説を書くなら描きたいと思っていることは結局だいたいここにあるなと思った。もしかすると全部かもしれない。そんなことはないか。
これでようやく「サクラノ刻」に入れる。とりあえずI章を読み始めた。この話やるんだ。
単行本刊行ペースの遅いマンガを複数追っておくと、いつもどれかは新刊が発売されるので、寂しくなくてよい。
「サクラノ刻」III章に入ったところまで。いいね、いい感じになってきた。ただII章まで一本道だったのが急に選択肢が出てきて戸惑っている。まあ、最終的には全部読むわけだが。
しかしまあ、弓張芸術家列伝みたいな話にはそこまで興味はないのよな。いやしかし、これは良くない感覚だな。SFを読むときにもう論文書けばいいのにと思ってしまう時の良くなさだ。お話があってこそ意味があるのに。ポカリスエットを飲むとアルコールの吸収が高まるみたいな(これは事実に反するそうですが)。
ねます