0221
なんか夜中に発熱してしまって仕事を休んだ。ずっとお腹が痛いのでまあなんか胃腸炎か何かなんだと思う。やれやれ。体力が尽きたせいなんだろうか。
ともあれ寝ます。
なんか夜中に発熱してしまって仕事を休んだ。ずっとお腹が痛いのでまあなんか胃腸炎か何かなんだと思う。やれやれ。体力が尽きたせいなんだろうか。
ともあれ寝ます。
会社の業務体験ということでオフィスに行き、一日中立ち仕事をした。普段開発に関わっているシステムが実際に使われる場面や、実際の現場の雰囲気を知ることができ、とてもインスピレイションを受ける体験だったが、とにかく肉体がついて行けず、腰が破壊されてしまった。最後らへんは本当に辛そうな顔をしていただろうと思う。やれやれ、いつの間にこんなに軟弱に?(とはいえ、一日に7時間も直立していて大丈夫だったことなど僕の人生にはそもそもないのかもしれない)
疲れすぎたので、今日はそれだけにします。
オニーク。
昼に起き、近所のイタリアンに行きたかったが満席だったのですこし歩いて油そばを食べた。模範的な油そばの味がした。
午後はギターを練習したりリファクタリングしたりした。一生リファクタリングして終わるお前のプロジェクト。仕方ないよ、概念の理解は少しずつ改善していくんだから。しかし、趣味開発とはいえモチベイションは有限であって、それを絶やさないうちに先へ進まねばなるまい。
ChatGPTに感情カウンタを管理させることで感情をシミュレイトできることが発見されたらしい。であれば、架空の感情(「こじむい」とか)を学ばせて、そのような言語ゲームに参加させることも可能だろうか。あるいは、こちらの感情カウンタを推定させることは可能だろうか。また、自分の感情カウンタを常に出力せず、嘘をつきながら話すことは可能だろうか。興味が尽きない。それなら自分で試せばよいのだが、思いつきが成功するようにあれこれ試すほどの気力はない。そのうち誰かが試すだろう。
人間の感情も部分的にはこんな風にできているのではないかと考えるのはいささか飛躍しすぎだろうか。しかし、一部の原始的な感情はともかく、後天的に発達した社会的な感情というものはあるように思われる(ある種の悲しみとかはそうではないだろうか)。そういう部分はこんな風に言語的に作り込まれているのかもしれない。ただ、人間は自分の感情カウンタを出力できるようにはなっていない(そうか?訊かれれば誰だって感情を答えるかもしれない、それが本当である保証はないが(それはChatGPTだってそうだ))。
寝ます。明日はすこし早起きをして、オフィスで業務体験をします。楽しみだが、早起きは大変。
土曜日。主にギターを練習した。Cmaj7 → D → Bm → Em。Bm →Bが厳しい。まあ練習始めて2日目だしな。
あとBing検索ですこし遊んだ。検索を駆使してそれっぽいことを言う能力は向上しているが、却って突飛なことは言わなくなっているような印象もある。何かというと検索に頼ろうとするのはすこし気に入らない。この感覚はどことなく老害っぽいな。
検索でTwitterを発見できるので、僕の文体模写ができるようだった。ある程度のそれっぽさがあり、なんというか、自分の模倣をやられて初めて実感するすごさみたいなのを感じた。
夜はもつ鍋を食べた。大変満足。あと2回分あるので楽しみだ。
ChatGPTやらBingやらが、「思考」なのか、は今後詳しく調べられていくことだろうけど、個人的にはかなり思考っぽいなと感じている。内言を出力しながら回答せよと指示したら本当にその通りにしたときはびっくりした。
こんなのは本質において人工無脳と大差なく「思考」ではない、とする、それもまあわからなくはないのだが、自己を振り返れば振り返るほど結局思考なんてこの程度のものではないかと思われてくる。少なくとも僕が内言として自覚している範囲の思考はだいたいこんな感じだ。Bingはたまに明らかに誤った推論をすることもあるが、僕だって寝ぼけながら羊を数えていたら119の次を200にしてしまったことくらいある。論理的思考というやつも、そうせよと言われたとき以外にほとんどした覚えがない。俺たちは雰囲気で論理をやっている(と感じている)。
いつかこんな風になるだろうとずっと想像はしていたが、生きているうちに見られる日が来るとはあまり思っていなかった。これは素直に嬉しい、ビッグニュースだ。
なんだか頭が重く、シャキッとしない日だった。お昼に13:30まで昼寝しようとして目覚ましを11:30にセットするなどした。危なかった。このミスは何度かしたことがあり、いまのところ大事に至ったことはないのだが、どうにかしたい。しかし、寝ぼけている時ほどこういう勘違いをしがちなので、どうにもならない。
夜はギターを弾いた。カポタストをつけるとなんかゴツいコードがスッと簡単になることがあり、「星座になれたら」とかは案外簡単になった。案外簡単とか言っているがべつにすらすら弾けるわけではない。でもBmとかFとかは慣れると案外簡単というか、楽ではある。Bはキツい。ともあれしばらくはこれで練習してみようかなと思う。
JAXAがロケットの打ち上げに失敗したらしいのだが、それを失敗と呼ぶか中止と呼ぶかでインターネットが揉めていた。まああの執拗に失敗の言質を取りに行った記者の態度は褒められたものではないけれど、なんかこう、正常に異常検知が作動して停止したので失敗ではないだとか、打ち上げ段階より手前だからそもそも何もしておらず失敗ではないとか言われると、「???」と思ってしまう。いや、まあ業界の術語としてそういう定義があってそうやっていますよ、というのであればそれは理解できるけれど、外から見たら失敗も中止も大差ないわけで、あんまそこの区別に拘泥するのは、よくないエンジニアしぐさっぽさがある。
とはいえ、失敗という語からは損害賠償だとか責任問題だとかが想起される人が多いというのもおそらく事実なので、仕方ないのかもしれない。個人的にはgracefulに失敗するのは良いことだと思うくらいだから、破局的な結果に至らずに失敗できた、という形を誇ってもいいくらいに思うけれど、そういうのはあまり支持されないのかもしれない。でも、イーロン・マスクがどれほどロケット打ち上げ失敗したかと思うと、失敗を悪みたいに扱うのはやっぱりナンセンスに感じられる。別にイーロン・マスクが偉いと言いたいわけではないけれども。
僕も日頃の業務でソフトウェアのデプロイをすることはある。デプロイ手順の途中でいろいろな自動検知が働いて、不具合のあるものがデプロイされたり、不完全な形でデプロイが完了したりすることを防ぐために途中で停止することがある。それを僕は普通にデプロイの失敗と呼んでいるし、それはそれなりに普通の感覚だとも思う。そういう感覚からすれば、今回の打ち上げは失敗だったと思うし、だからまたどっか直してリトライすればいいだけだと思う。
寝るぜ。スヤスヤとな。
いまいち気合いの入らない日。Slackを無視してコード書いたりしているとけっこう集中できるが、Slackを無視して大丈夫なのかはよくわからない。
夜は高校のパソコン部の同期や先輩とひさびさに会って飲んだ。なんか案外みんな結婚するねという話をした。たしかにね。
新しいBing検索のウェイトリストの順番が回ってきたらしいのでEdgeをダウンロードして試してみた。しかしまあ、ChromeでEdgeをダウンロードする日が来るなんてという驚きは多少ある。検索の精度(?)はまあ確かに賢くなっておるわいという感じだったが、ChatGPTを初めて見たときのような衝撃はもうないな。順当に進化しておるなという感じ。
寝ます。
なんか寝不足感ある。Goでコマンドラインツールを書いているが、ちょっと込み入ったことをやろうとするとやはりGoは非力というか、フラストレイション感じる場面が出てくる。無論どの言語でもそういうことはあるが、Goの場合は「あえてやってる」感が心を余計にささくれ立たせる。黙って配列のmapを用意しやがれ。
夜はギターの練習。コードチェンジが覚束ないながらも素早くできるようになってきたので知ってる曲のコードを検索しては鳴らしているが、格好いい曲はだいたいなんかごついコードなので弾けない。FだのBだのBmだのはまだ良くて(良くはないが)、D#だのC6だの言われるとどうしようもない。はあ。好きな曲がだいたい音域外の現象に似ている。
あとallegroのリファクタも少しだけした。少しだけ。
本を読んで寝ます。
ハッピーヴァレンタイン。
仕事はなんか一段落?したので息抜きにコマンドラインツールを書いていた。S3に保管されてる操作履歴をいちいち探しに行くのが大変なので簡単なTUIでターミナルから探せるやつ。TUI作るのは初めてだが今のところ順調。便利なフレームワークがあるのはいい。ちなみにGoで書いている。
夜はリファクタリング。難産だったがようやく妥協できそう。結局ActivityPubのデータモデルはApplication層に置くことにして(DTO)、これをNewTypeパターンでほぼそのままサーバーインターフェースに使うことにした。Serializable/DeserializableをApplication層から引き継ぐのは邪道のような気がするが、いちいち詰め替えを書く手間を考えればこれくらいでちょうど良かろうと思う。
プログラミングは手段か目的か、みたいな何度目だ系の話題が流れてきたけれど、この二分法自体あんまよくわからないなと思う。あらゆることは相対的には手段だけど、その実践は結局何かしらの表現であって、目的として見る側面がないはずはないだろう。そういう二面性を雑に捨象して、ことさら自分をロマンチシストであったりプラグマティストであったりに見せるのは、ちょっとわざとらしい、いけ好かないことだと思う。
すこし本を読んで寝ます。
夜更かししたのですこし寝坊した。温かくなってきた。
ギターの練習は少しだけ知ってる曲のコードを押さえてみるなどした。Am7はほぼCなので簡単だなあと思ったが、Fはこんなもん弾けるかという感じだった。こんなもん弾けるか。まあでもCとかGとかだって最初はこんなもん弾けるかと思っていたし、練習すれば何とかなるのだろうか。
allegro(Twitter2と呼んでたあれです)はリファクタリングしただけで終わった。難しい。モジュール大移動を始めたけどやっぱりやめたほうがいい気もしてきた。がサンクコストも気掛かりだし……。結局どういう形が綺麗なのか、改めて考え直した方がいいかもしれない。というかまあ、いったん元に戻すのが正気という気はするな。はあ。
寝ます。
昼に起き、なんかたいしたことはしていない。土日の片方遊びに出てしまうともう一日は休むので精一杯だ。すこしだけリファクタをした。ActivityPubのデータモデルはApplication側に置くべきなのかPresentationなのか悩んでいる。Presentationに置いてしまうとEntityとの変換がPresentation側に置かれることになって、それってアプリケイションロジックではないの?というような気持ちになってくる。本当はDTOを一段噛ませるみたいなのが正しいんだろうけど、それは面倒だ。
あ、そういえばngrokが無料版だと1つしか使えないのが不便なのでAWSに小さいインスタンスを立てて自分用のを動かすようにした。t4g.nanoだから月額500円くらい。ドメインも取ったからもうちょっとかかっている?まあでもコスパはよい。これでランダムにドメインが変わらないからいちいちmastodonの設定ファイル修正して再起動したりしなくていいし。
Bing検索がGPTか何かの自然言語モデルと繋がってすごい便利になっているらしい。検索エンジンは単にWebページを指差すだけでなくそれを咀嚼して提示してくれるようになる。おそらくスマートスピーカーで読み上げることもできるだろう。従来はこういうのを人間ががんばって見やすくデザインしたり読みやすくマークアップしたりしていたが、そういうのは必要なくなるかもしれない。
そうなると、Webサイトは人間のほうを向いて作られなくなるかもしれない。「読者」の大半がまったく目にすることのないWebデザインに誰がこだわるというのか。それとも、Webサイトをわざわざ読みに行く人にはよりリッチな体験を提供するという方向に進むかもしれない。紙の本の豪華な装幀のように、Webサイトを訪れるのはそれが一つの体験となる。まあ、それは今でもそういう部分はあるだろうけど。Appleのサイトとか。
もちろんこれはあまりに気が早い未来予想図でしかないけれど。しかし、ただハイパーリンクで繋がっただけのドキュメント群があり、ディレクトリ型の検索があり、自動クロールによるキーワード検索エンジンがあり、それらはすべて対話的に知識を蒐集・提供する自動エージェントへの助走でしかなかった、ような予感はすこしする。これからが楽しみだ。
寝ます。また夜更かししちゃったなあ。