0813
ほこらんさんと妻と出かけて、水族館で「もうどく展」を観た。まあなんか、毒のある生物がいろいろ展示されていたが、べつに僕には関係のない毒だなと思ってあまり興味は惹かれなかった。いろんな毒を実際に(趣味で??)体験しているライターがいるらしく、それは何なんだと思った。
毒のある生物がいることはまあ理解できるが、相手を殺すほど強い毒はなぜ生じるのかはすこし不思議だと思った。攻撃してきた外敵が死ぬことと、個体としての生存にはあまり関係がないように思われる。それでも種としては生存確率が上がるのか?とすればこれは利他的行為なのか?まあ、単にものすごく痛い毒はそのまま死に至らしめることが多いというだけなのかもしれない。
そのあと中華料理店で飲んだ。白酒という蒸留酒のくせに飲みやすいお酒があり、グラスでちょっと飲むつもりがボトルを開けていた。やれやれ。道徳の実在性の話などをした。
実在性と言っても、「ほんとうの」実在性にはどうせ触れられないので、そこにはグラデイションがある。原子の存在などは物理学の体系の一部としていろいろな現象と整合的である以上かなり強い実在性があるだろう。しかし道徳的規範はそうではないと信じている。人間はそれなりに似通った脳を持っていて、多くの道徳的判断について一致するが、物理学で確かめられているような実在性の強度には遠くおよばないし、脳がたまたま似通っているというだけで、似通っていない相手と道徳を共有するのは難しいだろう。人間と似通った脳を持った主体にのみ観測可能な粒子などはあるはずがない。
道徳を公理的に構築することはどの程度可能なのだろうか。もっとも、仮にできたとしても、それはあくまで特定の公理の元での道徳的定理であって、その公理自体を受け入れることを正当化するのにはやはり困難があるだろう。もちろん、「だいたいの場合はこれで上手くいく」とは言えるし、実用上もそれで十分だが、それ以上のものにはなり得ない。
そのあとなんか盛り上がったのでカラオケに行った。相変わらず歌える歌はあまりないのだが、気の置けない友人たちと行くと楽しいなと思った。まあそれはカラオケに限らず一般的な活動に対して既知の事柄の一適用事例に過ぎないかもしれないが。
そういうわけで疲れた。4連休がこれで終わり、明日はまた仕事。でも木曜日には夏休みをとっている(金曜日は働く)。それまで泳ぎ切るぞ。