0311
僕はこれに言及したいし、これに言及したいと思っていると思われていると思っているし、だから言及しないのは却って不自然だと思われると僕が思っていると思われているのではないかと思っている。だから言及する。地震から一年たった。
僕の広くはない観測範囲のなかで、この地震で(ある決まった被害の程度Xが存在して、それ以上の)被害のあったひとはいないけれど、それでも僕は一年前のあの日とその後の混乱のなかで世界観が変容するのを感じた。
人間の理性は、広く漠然とそう信じられているほどに、約束されたものではないこと。追い詰められた人間は、いとも簡単に(そしてその多くはほぼ同一の軌跡を描きながら)理性を擲つこと。善意というものの局所性と正義というものの非存在性。煽動されることから逃れるためには、それが煽動であるという自覚だけでは足りないこと。
そんなことを、思っていました。
黙祷がされる時刻(ところで、黙祷の時間的精度とかが気になりますがそれを気にするのは黙祷の本質を捉え損ねているとわかるので深く考えません)には、いろいろなものの渦巻くtimelineをながめながら、一年前の自分のpostを読んでいました。当時の僕も、やはり浮き足立っていて、それから人間というものを小馬鹿にしていて、だけど当時僕が予感していたほどには正気を失っていなかったようにも思います。僕の失望はやっぱりそこにそのままあって、それはちっとも色褪せてはいませんでした。
その失望から先に進めないのが、僕のだめなところなのでしょうが。
飽きたのでちがう話をします。あ、あと不謹慎って言ってる人を小馬鹿にするために「不謹慎」な言動を繰り返すのは普通に不謹慎に分類してもいいのでは、と思いましたが別に他人が不謹慎であることに特に感想を持てないのでどうでもよかった。
ほこらんさんともつ鍋を食べる予定だったのですが、夕方からなんだか具合が悪くなって(これも今思うとたいしたことなかったのですが)、ごめんなさい来週にしてもらえませんか、と言ったのですが、そうしているうちにほこらんさんが僕の家に来ることになって(そんなにしてまで僕に会いたいひとがいてくれるなんて僥倖である)、わあわあという感じでお酒を飲んでいました(結局そうなるなら別に普通にもつ鍋にゆけばよかったのでは(いや、でもこの場合、自宅にいるということに意味があって、外出先のバックアップの無い状態で健康状態が悪化するリスクなどを考慮するとすくなくとも非合理な選択ではない(いちいち五月蠅いなあ、もう起こったことだのに(黙れ、選択というものはつねにあとから評価されることで評価関数を修正されねばならんのだ(そんなのがよりよく生きる道だって?)))))。はじめはおそるおそる、だんだんとてきとうにしゃべり散らしていて、なんだか僕ばかり喋っていたような、それは単に僕が他人の話をあんまり聴かないか重視しないだけではないのかと思いつつ、まあ総合的にいって楽しい会合だったと思っていて、よかったなあ、という感想に落ち着きます。もつ鍋を食べる計画そのものは十日後に延期されるということで(わざわざありがとうございます)、また楽しいといいなあと期待しています(また楽しいといいなあ)。なんか初恋のひとの話とかしてた(キャー)。
彼とは、ともだちに、なりたい(当人も見てるところでこういうの書くのなんなの(まあ、そういう無数のエクスキューズの上に成り立ってるコミュニケイションですからね(気持ち悪い……(いいじゃん(今日は括弧多用しますね(あ、わかるー?そうなんだー(括弧って、開くときはいいけど閉じるときはどうしても連続しちゃって何が何だかわからないよねー(あるある(こんな感じ?→)))))))))
阿呆なことをしていたら日付が変わってしまった
さて、明日はバイトです。今夜はなんかUIDocumentのドキュメント(非冗句)を読みたいなーと思うものの、相方に頼まれたグラフを作らないといけない気もするのでそっちを優先かなあ。具合が悪いのをお酒で誤魔化しているだけっぽいので、なるたけ早めにねむりたいです。まあ明日はバイトだけだけども。