diary

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今日はわりとのんびりしていました。一昨日作ったカレーをカレーうどんに転用したら普通においしかった。めんつゆとおだしの関係がわからないのだが、このあたりは融通が利くらしい。

夕方にYとヱビスビール記念館に行きました。といってもべつにヱビスビールの沿革に関心があったわけではなくて、先日同僚からビール無料券を9枚をもらってしまったので使い切らないといけなかったためです。まあ二人で9杯も飲めないんで結局6枚しか使わなかったんですが。あと夕方に行ったから閉館時間の関係もあったし、あと激並びしてたから一巡しかできなかったというのもある。ヱビスビールはおいしかった。ありがたやありがたや。あ、地下にあるせいかケータイの電波が終わっていたのも難儀した。

夜はぽちぽちとプログラミングをした。Google Sign Inのボタンをちゃんと公式が提供している画像にしたりした(静的ファイルの読み込み手段を用意していなかったので地味に面倒だった)。あとなんだっけ、Exifへの対応を修正したらそれらしく動いたこととか。あとフォームのバリデイションも書いた。優先度の高いタスクはかなり完了しつつある。この先は本当にテンションの上がらない作業、たとえばスマートフォンのブラウザに対応させるとか、そういうやつになるだろう。もうアプリに移ってもいいのかもしれないけど。ああでもまだアプリの認証手段を考えてないのだった。やれやれ。


ふと思うのだけど、会社員の大半はあまりにも簡単に人権を投げ捨てているように見える。わけのわからない混み具合の電車に乗って毎日仕事に行ったり、朝十時だの九時だのから仕事していたり。僕はそういうのをしてこなかったので、これらが「本当は」避けられるべき事態であるように思えてならないのだが、なぜか誰もが当然のようにそれを繰り返している。このことについて僕が提案できる解決策は存在しないので、これは不毛なコメントなのだけど……。とにかくこれが「あたりまえ」である、とは思いたくない。ただでさえ不毛な行為(暮らしを成り立たせるために暮らしの一部を切り売りしているのだ!)をしているのに、それを余計に苦痛にみちたものにする理由はなにもない。

母はよく「楽をして生きるためにあなたに勉強させたわけじゃないのよ」と言っていた。でも残念ながら僕は楽して生きることだけを考える人間になってしまった。それはそんなにいけないことだろうか?僕が勤勉だったら歴史に名を残す天才になったか?そうでないのなら(あるいは仮にそうであったとしても?)、僕は楽をして生きたい。というか、これ以上楽でない人生なんてまっぴらだと思う。

インターネットでは、人生を降りるだの降りないだのの話をときどき見かける。たぶんそれは、「何かの達成としての人生」というストーリーにコミットするのをやめる、みたいな話なんだろう(そういうのって疲れるもんな)。でも、僕にしてみれば、人生というのはそもそも最初からそういうのではない。この違和感、当惑というのは、たとえてみれば、駅で電車に駆け込み乗車してみたらそこがたまたま女性専用車両だった男性、みたいな気持ちに近いと思う(経験したことないけど)。すみません、わざと乗ったわけじゃないんです、あ、はい、すぐ移りますんで。 ……僕は別に乗りたくて乗ったわけではないのに、気がつくとなにかの意図を読み込まれている。そんな意図があって生まれてきたわけではないし、そんな意図を持って生きていくつもりもないのに。


明日は本当に何も予定がないので、のんびり寝ていると思います。もうこんな時間まで起きててしまったしね。ゲームでもするか。