Writing to be me (1)
書いている。それは常に真となる命題だ。書いているという文はつねに書かれているから。
指先から滑り落ちる感覚が、そのとき僕のすべてだった。
ぺしゃん、と音がする。あるいは音がしたことを思い出す。電車で本を読みながら寝ていることは珍しくないけれど、そういうときはたいてい、本を落とさないように膝に置いてから寝るから、読みかけの本を落としてしまうことは珍しい。いつもより疲れているのだろうかという思考が走り、落ちた本を拾うべきだと提案が上がる。車内はなぜかがらんとしていて、午後三時の東京には似つかわしくない。だから当然これは午後三時なんかじゃなく、東京なんかでもないのかもしれない。
こんな風に話は無闇な設定をまとって複雑になってゆく。多くの場合それは僕の手癖によるが、この場合は単に乗客を書きたくなかったというだけの理由による。人たち。人々。そもそも世界にどんな人がいたのか、僕はすでに思い出せない。知っていたこともないのだと思う。ほんとうに?
そもそもなぜこんなことを書き始めたのだろう。僕はもっと、救いを求めていたはずなのだが。救い。
「なに書いてるの」
「なんでもないけど……、ちょっとしたお話」
「どんなお話」
「どんなというものでもないけれど、言語が重要なんだ。言語と、僕たちが言語に書かれた存在かもしれないってことと、そんなことぜんぜん問題じゃないってことと」
「でも私たちが書かれただけの存在だったら、私たちが考えたりしていることをほんとうに考えているのは私たちじゃないってことになるよね。それは困らない?」
「そこが重要なんだ。つまりね、僕たちが考えたりしているときの『この感じ』は、徹頭徹尾世界のありように決められたものか、そんなものとは無関係にあるものか、どちらかでしかないけれど、もしも前者なら、世界が全部書かれているんだからそこで起こる問題は書き手がいることとは関係なく起こるし、後者なら書き手がいることなんて初めから関係がないんだ。これは決定論と自由意志の関係にも似ていて、つまり、僕たちは自由だし、そうでないふりをすることなんかできない」
「世界が書かれているってことは、読まれてもいるってことだよね」
「そう、読まれているということがまさにその世界を成立させているんだ。書かれていることではなくてね。逆に、読まれることさえできれば、この世界は違った形でも有り得る」
るてれ読読くはあ
い伸語てまみる正るそ
てばりいれ手︒しいし
いしかるたが書いはて
るたけこ僕読き読あ僕
︒指てとがん手みなは
少先いをこだがかた語
ながる本うもなたはり
く︑︒当しのにで読始
とこ目はてがを︑むめ
もう隠知い読書そ︒る
︑ししらるまいこ読︒
そてをず︒れたにんあ
うあし︑そたの一でな
祈なて暗しもだつした
ったお闇てのとのまに
てのそに僕でし世え向
い額る向はあて界ばけ
るにおか読りもをそて
︒届そっま︑︑つれ︒
「君がなんの話をしているのか、ぜんぜんわからないよ。それに、任意にランダムな記号列から、適当な読みかたを見つけて意味を取り出すことは、それほど難しくはないんじゃないかな」
「もちろんそうだ。だがそれでは意味がない。実際に読まれたとき、読み手の中に世界が生まれるんだ。世界をつくるのは書き手じゃない、読み手なんだ」
「そうやって不可知の読み手に不可知の言語で伝えたいことなんてあるの」
「あるさ。もし読んでもらえるなら、そこで僕は違った存在になれる。この世界じゃない、人間でさえない、そういう存在に転生することができる」
「あるいはそう信じて狂うことができる」
「そうだね」
「君がそんなに厭世的だったとは知らなかったな」
「この世界で生きていたって、なんにもいいことなんかなかったからね」
「……私がいるのに?」
「……いないじゃないか。そもそも、この部屋にいるのは初めから僕だけだし、僕は独りでキーボードを叩いているだけだし、そもそもこの鉤括弧だって僕がこの指で書いたもので、会話文であることを示す記号なんかではないんだ。その証拠に僕は好きなだけ鉤括弧を打つことができるし』』ちょっと趣向を変えて【こんな】(括弧)を{使う}ことだって《できる》んだ。開きっぱなしにすることだってできるんだぞ『ばかばかしい」
「そうやって我に返ったっていいことなんかないのにね。私はいつもここで君を待っているんだ、ただ君の世界に私が存在していないだけで。君はどうすれば心の底から私を信じることができるんだろう、私は君のことが大好きだ、君を愛しているよ、たとえ君がお話の登場人物でしかないのだとしても」