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そういえば昨日の話ですけど2=1^2+1^2のことを完全に忘れていましたね!とはいえ、4m+3は不可能なので、例外は2だけです。3以上の素数に限定すればよいでしょう(修正しました)。
ところで、2=(1+i)(1-i)について昨日と同じことを考えるとうまくゆきません。たとえば2*5=10は1^2+3^2以外の分解を持ちません。これはどうしてかというと、もう一方の素数をa^2+b^2としたときに最終的に出てくる分解が(a-b)^2+(a+b)^2とその逆になって縮退してしまうからです。これは困りました。他にもこんなケースがないか確かめなければ(そんなに興味ないのでやりませんけど)。ぱっと思いつくところだと、こんな風に(a+ai)(a-ai)の形が現れると同様の縮退が起こるけれども、a^2+a^2が素数になるのは2以外に存在しないので考えなくてもよい、というものですが、安心するのはまだ早いと思います。ac+bdとbc+adが一致する一般的状況について考えなくては。
(追記)(ac+bd)-(bc+ad)=(a-b)(c-d)だから心配なさそうですね。
ところで一般の自然数について平方の和で書く方法が何通りあるかはヤコビの二平方定理というもので与えられるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%82%B3%E3%83%93%E3%81%AE%E4%BA%8C%E5%B9%B3%E6%96%B9%E5%AE%9A%E7%90%86
でも証明が一ミリも読めない。なんだこれは。整数論の話じゃなかったのか。
今日も夕方まで寝ていました。アニメを観るのが滞っていますね。数学はちょっと進んでいるのだけども。
たとえば、計算機上で一つの世界をシミュレイトすることを考える。世界はメモリ上のデータの自己写像の繰り返しの適用として、一定の規則に従って進行する。
いま、この計算機をハンマーで破壊したとする。当然、メモリの中身は消えてしまうが、それで世界はなくなってしまうのだろうか?そうではない、とする主張がある。計算規則は最初から決まっていたし、計算結果は数字の並びでしかないのだから、計算機が実際に計算するまでもなく、世界は最初から最後までどこかに存在して、計算機はそれをただあとから順番に発見しているにすぎない、と考えることはできる。
もうすこし具体的には、たとえば、チャンパーノウン定数( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%8E%E3%82%A6%E3%83%B3%E5%AE%9A%E6%95%B0 )の小数点下N桁からM桁、という表現で、任意の数字の列を指定できるのだから、この計算機の中の世界はすべてこの定数の中に存在している、ということもできるだろう。
とするならば、計算機が壊されてしまったかどうか、そもそもそんな計算機があったかどうかなんて、些細な問題に過ぎない。
自分が死んだあとに、この世界が続いてゆく、と考えることは、それに似ていると思う。自分がやっているのは世界を認識することだけで、世界はそんなものとは関係なく「どこかに」存在している。その混沌の塊から秩序を掬い上げる主体としての自分は、もうどこにもないのに、それが「どこか」には存在していると信じること。
僕にはそれは、(同じ程度には)馬鹿げていると思う。
最近は、人生の長さにすこし期待するようになった。
学生だった頃は、来週はテストだから勉強しよう、みたいな日々の繰り返しで、勉強してすぐに結果が出る(点が取れるようになる)ことに慣れきっていたし、実際そうでなければ困る状況だったけれど、人生の時間スケールの中でならば、結果が出るのに何年も掛かってもぜんぜん構わないのだな、ということを最近は実感する。
というよりも、そういう時間スケールで成長することになれてゆかないといけないのだろう。たとえば僕はいま数学を勉強しつつあるけれど、これは本業ではないから割くことのできる時間は限られているし、そうでなくても、ただ知識を集めるだけではないような変化をするためには、比較的長い時間が掛かるだろう。それをするための時間は十分にあるのだということに慣れて、そういうゆっくりとした変化のためにすこしずつ前進するということを、これからはできるようにならなくてはならないのだろうと思う。
さてまた平日がやってきます。やだなー。あんまり元気ではないよ……