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昨晩から今日の昼にかけて、このblogが落ちていました。DBアクセスエラーで5xxをが出るのを見た人もいると思います。ディスク容量が不足していたのが原因でした。`docker system prune`したら直りました。
なんか部屋が暑かったり、昼間に寝すぎたり、M-1の興奮が醒めなかったりで、完全に睡眠に失敗したため午前休をとって寝ていた。なんかたまにそういうことがある。何だろうね。
イカのゲームが突然ちょっと上達した。というか、試合開始時にやっていた変なルーティーンをやめたらエイムがまともになった。なんかこれのせいでちょっと照準が上を向くようになっていて、1 on 1の場面で勝てなくなってたっぽい。まあそれ以外にも普通に立ち回りを意識するようになったりとかはあるけど。そしてまあ、もうちょっとくらいは上手くなりたい。
「魔法少女まどか☆マギカ」再編集版の最終話を観た。やはりね、傑作というか。「希望」の向かう先としての「正義」としての魔法少女像から逃げなかった、貫徹しようとした、その志の高さに胸を打たれずにはいられない。
円環の理という正義になるためには人であることをやめる必要があるし、じゃあ愛はどうだったか?それは悪魔だったんですね(これは『叛逆』の話ですが)。人のまま正義をやろうとした人間がどうなっていくか。それは美樹さやかであり、そして誰しもツイッターで嫌と言うほど見てきたでしょう。
そもそも結局鹿目まどかと暁美ほむらは実はあんまり通じ合ってないというか、あのリボンって「お友達でいましょうね」、言ってしまえば拒絶なんですよ。なんなら(すこし飛躍しますが)『叛逆』においてまどかはほむらの髪を結ぼうとする側なんですよ(その上で未遂に終わる)。『叛逆』の終盤で明示されるまでもなく、正義と愛とにはずっとそういう緊張関係がある。
9話の回想シーン、暁美ほむらはもう二人でバケモノになって世界なんかメチャメチャにしてやろうと言うけれど、鹿目まどかはそれでもこの世界を守りたいと言うし、そのための切り札としてほむらを送り返す。ここなんかもはっきりと対立がある。愛は本質的に世界に背を向けて正義を破壊する力で、だから結局は(悪魔という形であれ)バケモノになるしかないのだ。
映画、楽しみですね。
寝ます。