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またよく眠れなかった。普段と違う場所で、普段と違う寝具で寝るのは、温度調節がうまく行かなくて失敗しがちな気がする。関係ないかもしれないけど。
お昼にのどぐろと能登牛のひつまぶしを食べた。ものすごくおいしかったので、いまこの瞬間に死んでしまいたいと思った。ものすごくおいしいものを食べるとき、しばしばそのように思う。先行きの見えない、苦労ばかりの絶えない人生をここで「利確」したい、そんな気持ち。人生のエンドロールの場面に何を選ぶか考えたとき、ものすごくおいしいものを食べている瞬間は最有力候補のひとつだろう。(しかし、もちろん人生というのはそのような形をしていない。)
それから土産をいくつか買って、東京に戻ってきた。帰ってきて最初に食べるのはラーメンが多い気がする。旅の終わり、日常の再開を象徴するような。まあ別に料理したくないだけなので何でもいいのだけれど。
努力して、自分の人生の舵取りをする自信を身につけた人ほど、生誕というものの本質的なガチャ性(そして当然リセマラもできない)を直視するのは堪え難いことなのではないかと思う。少なくとも僕はしばしば目眩を感じる。自分はある程度自分がどういう人間でありたいか考え選び取ってきたと感じているけれども、ヒトに生まれたこともそこそこの先進国に生まれたことも教育熱心な家に生まれたこともすべてガチャの結果でしかなく、それらの出目の影響の前に自分の「努力」などほとんど無いも同然であって、つまり自分の人生で真に選び取れたことなど何一つないような気もする。それは(人生にそこそこ満足しているがゆえに尚更)あまりに恐ろしいことではないだろうか。(そして、どんなに恐ろしいことであっても、それは既に起こり終わったことで、それについて何かできることは何もないのだ)
寝ます。土日を旅行で潰してしまうと、これは実質12連勤なのである。ウーン。