0815
そういえば今年って8月10日にオハイオって言わなかった気がするな。疲れてんのかな。
コンポーネントのテストを書いていけるかなと思っていたけどあまり進まず。一見単純なコンポーネントに見えてもLinkとかを使っているとRemixのスタブが必要になって……みたいなところでハマっていたり、結局コンポーネントのテストって何したらええねん!みたいなところで悩んでみたり。でもとりあえずロジックが関与している部分はDOMを検査しておけばいいのかな。あと最終的にはスナップショットを取ればいいか、とか。mswやE2Eは週末にお預け。
菜食主義の擁護(あるいは肉食の批判)において持ち出されることのある「種差別」という概念は、これは尤もらしい見た目をしているが、その他の「差別」概念のパロディに過ぎないと今は考えている。仮にその種差別なるものが解消された未来があったとしても、ヒト以外の生物はそのことを知ることはなく、単にヒトだけが差別撤廃ポイントを稼いでいるだけで、そのような概念に存在意義があるとは思いづらい(もしあるとすれば、科学技術によって、ヒトとして生まれて生きたあとで別の種の生物に変化する、というような生き方がされるようになった場合や、逆に別の種の生物として生まれてからヒトに「なる」という場合であろう)。
そのようなパズルめいた理屈を抜きにしても、動物愛護というのは結構なことであるから、食用の動物たちがあまりひどい目に遭わないようにしてほしいという気持ちは持ちうる。しかし、その道徳的な価値はそれほど高くはない、特に、他人に肉食をやめさせる程には(種差別のような強い道徳的非難のロジックによらない限り)高くはないだろう。たとえば募金や寄附は道徳的によいことだし、やればやるだけよいことでもあるが、実際に限界までそうするという人はあまりいないし、他人に強要するということも無理である。
とはいえ、こうして肉食を擁護してみても、世の中というのは案外あっさりと菜食に傾くのかもしれない。殺生というのはあまり清潔感のある行為ではない。
寝る。