0813
朝から健康診断に行った。鼻から胃カメラを入れた。前にやったときより喉に刺さる感じがあって痛かったから、前の人と前の前の人は上手だったのかもしれない。まあ、僕が忘れているだけの可能性もある(これがほんとの「喉元過ぎれば」だ)。
胃はとても綺麗だった。何も異常はないらしい。ただ幽門だか噴門だか、入口が閉じきらない問題があるらしく、これのせいで逆流しやすくなっているようだ。時々食べていると痙攣みたいになってしまうんですがと相談したら、早食いして空気が入ってしまうと膨れてそんな感じになってしまうのでは?と言われた。言われてみると嫌いなものを焦って食べようとすると起きがちな気がする。そもそも僕にとって食事というのはけっこうな割合でプレッシャーだ。
頻繁に下痢気味なんですけどという相談もしたのだけど、昔からそうなんだったらそれは「そういう腸」なんだと思います、とのことだった。思わず「そういう腸!」と言ってしまった。そういう腸なら仕方がないな!マジかよ!まあでもそのうち一度は下部消化管も検査した方がいいかもしれない。
身長がすこし伸び、体重がすこし減っていた。身長が伸びているのはいつもと違って午前中に測ったからかもしれない。実際どの程度差があるのかは知らないけれど。
仕事はログ出力と格闘していた。あまり時間を掛けたくはないが、転ばぬ先の杖というものなので、先に時間を掛けておかなくてはいけない。難しい。
夜は友人たちと食事をした。自己責任論について話したりした。
結局のところ、自由意志をフィクションとして捉えていると自己責任論を正当化する究極的な根拠というのはなくなってしまうわけで、そこで信仰の違いみたいなのがあるなと思った。一方で単にそれがフィクションだと叫ぶだけでも単なる虚無主義だと思うし、そういうフィクションがある程度役に立つ、現に役に立っているということにも注目しなければならないわけで、その中でどうやっていくかが課題だと思う。
僕は結局自分だけに自由意志を認めるという(普通の意味では狂った)建て付けでそれをある程度解決した気になっている。それは僕以外にとっては単なるフィクションであるが、他ならぬ僕自身にとってはやはり全身全霊でコミットすべき問題であり、フィクションをやっている皆さんとうまいこと折り合いをつけてやっていく(しかし、究極的には僕自身の人生は僕自身のものである)という、語り得ない立場である。それはなんか、逃げというか、不誠実な感じもするんだけど、でも結局誠実に生きてたら何なんだ?という諦念がどうしてもあり、そもそも道徳が実在しているなんて全然信じられない世の中で、それが実在するかのように過剰に適用する弊害ばかりが目立つ世の中で、そんなものにコミットしたくはない。
なにもかもをフィクションに過ぎないとニヒルになる必要はないし、なにもかもに正解があると難しく考える必要もない。一生懸命生きていればそれでいい。こうしてみるとすごくしょうもないことを言っているように見える。でも、しょうもないことを言うことと、しょうもないなりにちゃんと実践することとの間には雲泥の差がある。
寝るよ。