0410
ねむ。会議ばっかりで全然何もできなかった。やれやれ。
マジで何もしてない。夕飯にもつ鍋食べたらおいしかった。寝ます。
「どうしてあんなこと言ってしまったんだろう」という後悔は、誰しもあるものだと思うけど、10年経ってもまだ忘れられない後悔がいくつもある。たぶん、これから残りの人生で忘れられる日は来ないのだろう。痛みと共に生きる人生、それはまあ、比喩的にも、文字通りの意味でも、それが大人になるということなのだろうと思う。
なにかを後悔するのは、それが何かの糧になるからだ(と、進化心理学なら言うかもしれない)。次はもっと上手くやれる、そのようにして適応度を高めていくのだ。本当に?僕はずっとただ後悔するだけで、そこからなにかを得ることはないのかもしれない。少なくとも、痛みの記憶が薄れるまではだめだろう。痛みの記憶が風化して、自分を形作る地盤の一部になったとき、その時やっと上手くやれるようになっているかもしれない。