0217
なんだか頭が重く、シャキッとしない日だった。お昼に13:30まで昼寝しようとして目覚ましを11:30にセットするなどした。危なかった。このミスは何度かしたことがあり、いまのところ大事に至ったことはないのだが、どうにかしたい。しかし、寝ぼけている時ほどこういう勘違いをしがちなので、どうにもならない。
夜はギターを弾いた。カポタストをつけるとなんかゴツいコードがスッと簡単になることがあり、「星座になれたら」とかは案外簡単になった。案外簡単とか言っているがべつにすらすら弾けるわけではない。でもBmとかFとかは慣れると案外簡単というか、楽ではある。Bはキツい。ともあれしばらくはこれで練習してみようかなと思う。
JAXAがロケットの打ち上げに失敗したらしいのだが、それを失敗と呼ぶか中止と呼ぶかでインターネットが揉めていた。まああの執拗に失敗の言質を取りに行った記者の態度は褒められたものではないけれど、なんかこう、正常に異常検知が作動して停止したので失敗ではないだとか、打ち上げ段階より手前だからそもそも何もしておらず失敗ではないとか言われると、「???」と思ってしまう。いや、まあ業界の術語としてそういう定義があってそうやっていますよ、というのであればそれは理解できるけれど、外から見たら失敗も中止も大差ないわけで、あんまそこの区別に拘泥するのは、よくないエンジニアしぐさっぽさがある。
とはいえ、失敗という語からは損害賠償だとか責任問題だとかが想起される人が多いというのもおそらく事実なので、仕方ないのかもしれない。個人的にはgracefulに失敗するのは良いことだと思うくらいだから、破局的な結果に至らずに失敗できた、という形を誇ってもいいくらいに思うけれど、そういうのはあまり支持されないのかもしれない。でも、イーロン・マスクがどれほどロケット打ち上げ失敗したかと思うと、失敗を悪みたいに扱うのはやっぱりナンセンスに感じられる。別にイーロン・マスクが偉いと言いたいわけではないけれども。
僕も日頃の業務でソフトウェアのデプロイをすることはある。デプロイ手順の途中でいろいろな自動検知が働いて、不具合のあるものがデプロイされたり、不完全な形でデプロイが完了したりすることを防ぐために途中で停止することがある。それを僕は普通にデプロイの失敗と呼んでいるし、それはそれなりに普通の感覚だとも思う。そういう感覚からすれば、今回の打ち上げは失敗だったと思うし、だからまたどっか直してリトライすればいいだけだと思う。
寝るぜ。スヤスヤとな。