0717
午前中は昨日の基板の残りの部分(静電容量検出回路)のはんだ付けをした。まあ、ここまで来れば動いて当然という感じではあるが、動いてよかった。トランジスタのフットプリントのサイズを間違えていてヒヤヒヤしたが、ぎりぎりつけられたのでセーフ。
練習がてらもう一枚はんだ付けした。昨日より上達した気がする。というかヒートガンでQFNパッケージをつけるときの塩梅がわかってきた。まあ、あまり何度もやりたくはないが。1005Mサイズのチップはだいぶ慣れた。慣れてから2010Mを触ると楽すぎて感動する。
それからノイズ除去のためのカルマンフィルタを書いた。本当にこんな方法が適切なのか?と思っていたが、実際けっこううまく動いたので満足。挙動を確認するときにPython+Jupyter notebookで試したらかなり体験が良かった。便利な時代だ。
NHKの「100分de名著」のニコマコス倫理学の回を録画してあったのを観た。アリストテレスはやっぱり偉いなあと思った。倫理学においては、いかなる時も成り立つ普遍的な真理ではなく、「典型的にはこうである」というようなことを述べる、と宣言した、そこがなんか、アリストテレスらしいバランス感覚だなと思うし、実際大事なことだよなとも思う。人の世のありかたの学である以上、独りよがりに真理を目指すより、例外を認めてでもおおまかな実態を把握することが優先されるべきであろう。(それこそカントなら違うことを言うだろうけれども)
夜は「SPY×FAMILY」5話まで観た。なるほどねという感じ。なまじ発達心理学をかじっているせいで、アーニャさんの発達が気になって仕方がない。4〜5歳にはかなり難しそうな推論を平気でしているけれど(これはアニメとかではよくあることだけど)、彼女は生まれつき?他者の心が読めるのだから、心の理論の発達とかも典型的な子供とはまったく異なっているのだろう。というかそう考えてみるとむしろ不思議なくらい「普通の子」に見えるなと思う。
心を読む能力があったとして、それが「心を読む能力」なのだと理解するには何が必要だろう。聴覚から得られる情報と、心を読んで得られる情報とをうまく区別することはできるのだろうか。それとも、「これは心の声だ」とはっきりわかる印がついているのだろうか。普通の人にはそのような能力がないと気づくのはいつか。普通の人にはそのような能力がないというのはどういうことなのか理解するのはいつか。普通の人はみな他人の心を読めないくせになんとなくの推測で行動してそこそこうまくやっている、そのことに気づくのはいつか。心の声を読めない場面では普通の人がそうしているように推測することができるのか。そのような不確実な推測が怖くはないのか。僕はまだ時々は怖くなるが。
寝ます。明日はデートです。