0919
惰性で日記をつけることにどういう意味があるのか。すくなくとも、何か書きたいことがある日を逃さない役には立つと思うし、何もない日の惰性の日記も、長く積み重なれば日々の惰性の記録になるのだ。つまり、そう、惰性で書かれる日記にも、いろいろな心境が現れるのだ、と思う。
アプリのリファクタリングをやろうと思っていたけど結局すこし構想を練っただけで手はつけなかった。それよりまずはバックエンドの完成度を高めなくてはならないのだ。アプリと無理矢理繋げただけで満足してはいけない。
とは言い条バックエンドの進捗も大きくはない。以前インテグレイションテストにしてあったテストをサービスの単体テストに移した。これぞ盆栽。しかしアプリに繋げたことで部分的とはいえフロントエンドが手に入ったので、これからは画像アップロードなどの実装が捗るものと思われる。
夜はまた鬼滅の刃がテレビで放送されていたので観た。まあいい話だよね。でも鬼にもかなり普通の理性がある感じ出てくるし、これなら鬼化の初期対応次第では全然共存可能であり得るんじゃないの感はある。忘れてるだけでそのあたりも設定でカバーされてるのかもしれないけど。
ねるよ