0725
たいしたことはしていない一日。妻に頼まれて雪の結晶の成長シミュレイションを調べて書いたけど、あまりいい感じにはならなかった。物理的にそれなりにもっともらしそうなモデルは僕の実装が悪いのか全然六回対称にならないし、もうひとつ見つけたセルオートマトンは見た目はそれらしくはなるけどランダムネスもないし物理的意味づけも謎なのであまり好きにはなれない。結局この問題はまだ人類にはよくわかってないのだろう。ふーむ。
あとはマンガ読んだりしてたので趣味プロジェクトはお休み。また新しい画面やらないといけないんだけど。明日かなあ。
生きていたいという気持ちがよくわからない。たとえば、体育な苦手な人って、体育の時間にサッカーとかやらされるのが嫌だと思うんだけど、でも真面目にやらないと同級生からも先生からも怒られるから嫌々やってるみたいな、ああいう感じで生きている気がする。何年か前、精神が今よりずっとしんどくて、死ぬ理由をいろいろ考えたり批判したりしていたけれど、結局その時に考えた「別に生きなくてもいい理由」は今でも同じくらい説得的だ。確かにいまの僕は別に今死ななくてもいいと思っているけれど、だからって積極的に生きていく理由もない。先生に怒られるから、僕自身は特に楽しくもないけど嫌々やってる。
心の病やそれに付随する気の迷いで死を選んだとして、それは何か間違ったことだろうか?理性的判断でなければ正しくないのか?正しくないと思ったものを理性的判断の座から降ろしているだけでは?生物は生きるためにあるという理屈が通るなら、生物がそのために作られたのでない出来事はすべて誤りか?