diary

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今朝方から完全に風邪を引いていて、熱もあります。なのでだいたいずっと寝ていました。寝ていたからって体調がよくなるわけではないのですが、起きているよりはましだと思っているので(こんなのは信仰以上のものではないと思うのだけど)、だいたいずっと寝ていました。体調は特に良くはなっていません。明日もこんな調子だったら仕事を休もう。

「moon」(Switchリマスター版)をちまちま進めていたのを今日クリアしました。まあけっこう好きなお話だったけど、もう古いなという感じもある。22年前の発売なんで当たり前なんですが。アンチヒーローの意外性一本だったら2019年にやることじゃないとは思うんですよね。いや、まさにこういった作品が22年前にあったからこそ2019年の僕がそう思うのかもしれないけれど。
それよりも、僕はこの作品に「アンチ物語」を読もうとしたんだよね。このゲーム、まあメインストーリーと主目的が存在していてそれに向けてレベルを上げていくんですけど、それとは全然関係のないこと、誰かの愚痴を聞くとか、オリジナルのマンガを読んであげるとか、そういうことでもレベルが上がっていく。こういうのって「物語」よりも「生活」に属するものなわけじゃないですか。それをやっていくことに主要な価値を置いた、というのはそれもまた斬新なことだな、と思ったんですね。まあ言うてしまえばそれも結局ゲームクリアのためにやってることだし、それ自体はたとえばゼルダBotWとかでもいっぱいあったわけですけど。そういうのが良かった。
エンディングは解釈がしづらいけど、要するに「ゲームプログラム上の存在でしかない私たち」を「解放」することが(あまりそんな風に語られてはいない、せいぜい博士が「空の天井を越える」と言っているくらいか)目的で、それは当然ゲーム内(このゲーム自体がメタ・ゲームだったわけですが、その中でさえ)では不可能だから、ああなるんだと思うんですよね。彼らがゲーム内で主張していることは指示対象・意味内容を持たないナンセンスなんですよ(アダーの予言がすべて論理的に真であるとしても)。でも、本当に「空の天井」の先にいるプレイヤーには理解できる。そこを作中の主人公とスッと同一視することであのようなエンディングが帰結するのではないかと思う。エンドロールにおいて彼らは現実の街のさまざまな場所に溶けこんでいる(つまり本当に「空の天井」を越えたのだ!)し、このゲームはクリア後タイトル画面に戻らない(そこは世界の限界なのだから)わけで、そのように考えることは不自然ではないと思う。だから何、という話はある。


今夜はもう寝よう。