二月二十六日ですけど!
A=Aである。これは恒真命題である。正しいものが正しい故に、あるいは間違っているものが間違っているが故に正しい。あるいは単に記号の羅列と見て、左右に並ぶものは同じ記号に他ならず、同じであるが故に等号は正しい。記号列を解釈してみて、左のAは右のAと等しい。右のAはすぐさま左へと身を翻し、巡って矢張り、左のAは右のAと等しい。
この無限回の循環が、なにかを駆動する原動力になりはしないかと考えたのが彼女であり、なにかの原動力になるのならばそこにはエネルギーが費やされているだろうとしたのが彼であった。それならばそのエネルギーはどこから湧いてくるのかという疑問が当然に生じる。古来より、東に久遠に動くものあれば、と架空されるのが永久機関であり、それに対して与えられた情報理論からの回答は次のようであった。
「正しいものが正しく、あるいは間違っているものが間違っているためには、単位時間あたりに一定のエネルギーを必要とする」。
この結論はおよそ推論というものを行うほぼ全ての学問領域を震撼させたとされている。プランク・スケールの領域ではあるものの、真の真性が保持されるにはエネルギーが消費される。それは不確定性の霧の中に沸々と泡立つ無数の恒真命題たちを駆動してはどこかへ溶け込んでゆく。当然の想像力としてその微小な時間間隔につけ込んで真理を操作しようとする試みがあり、実験の失敗とともにそんな試みが存在したという事実もろともに消滅している。
人をn人呪うとき生成される墓穴の個数は(n+1)個である。素朴にn→∞の極限をとってみて、呪われた人数と墓穴の個数は一致することとなり、無限個の墓を作り終えたあなたは汗をぬぐってどこかへ出かけてしまう。この話をヒルベルトの無限墓穴パラドクスと呼ぶことには何らかの惜しさを感じる。
昨晩は一般化four fours問題のコードを書いていました。mapだのpairだのを覚えたばかりの中学生みたいなコードになっています。<と>ばかりで気持ち悪い。動作自体はうまくいきそうだけど、実行時間の予想が立たない。まあ元の記事が書かれてから五年くらい経つわけだし、けっこう無茶をしても大丈夫なのでは、とも思う。丸め誤差の問題は諦めるしかないだろうけど。今夜中には一定の解決を得られそう。やる気次第。
今日はSがきていました。まどマギ観てた。
森見登美彦「美女と竹林」読み始めた。おもしろい。