diary

0921

実家にいます。今日は「エターナル・フレイム」読み始めたけどこれ前作の復習しないとしんどいな。そしてここは実家なので前作は手許にない。


僕が面倒とか口で言ってるようなことって、実際のところはいろいろな不安ゆえにできないことが結構あるのだ、話題の映画とかも、けっこう観に行きたかったりするんだけど、ああいう場所行くと突然お腹痛くなったりしたらどうしよう、みたいな不安が強くて(しかもその不安のために具合が悪くなったりしてしまう)行けないんだ、ねえ、どうしたらいいんだろう。ねえってば。


実家にいると特筆すべきことがなにも起こらない。そういえば東京に戻ったらfish shellを調べてみようと思う。いま常用しているのはzshだけど、正直ぜんぜん使いこなせていないので、もっとコンパクトで同じようなことが出来るものがあるのならそっちに乗り換えたほうがいいと思うのだ。


テキスト生成はあまりうまくいっていない。ところでSeqGANというGANを系列データに使えるようにしたのの論文が出ていたから東京に戻ったら読もうと思う。あとこの手法がEnergy-based GANと結合できないか、とか。試したいことは無数にあるんだけど、計算するのもタダじゃないからな。

本格的にGPU機を自前で持つべきなのではという気がしてくる。たぶんブレーカーを替えるところから必要なのだが。


0922

実家にいます。なんだか喉がちょっと痛い。今夜はあまり夜更かししないようにしよう。


昨晩はGPU機を家で常時稼働させる算段について検討していたのだけど、やっぱり火災リスクが怖いなあと思いました。でもそれって他の家電と同じじゃない?という指摘があり、じゃあ他の家電も不安じゃん、という最悪のパターンがあり。早く帰ってコンセント回りを掃除したい。だいじょうぶだとは思うのだけど、しばらく見てないからわからない。

こんな風にときどき現れる異常な心配性は何なんだろう。どうにかして回避できないものだろうか。でもな、確率的に生じるリスクに対して一回きりの人生に確率なんて無意味だと悟ってしまったら反論できないよな。どんなに低確率であれ遭遇している人が存在する以上は。
年々ひどくなってる気がする。苦しい。

人生は苦しいことばかりだ。もう終わりにしたい。