0202
昨晩はなんだかうまくねむられませんでした。まあ夕方まで寝てたしな。日曜の夜にはよくあることです。
だけどなんだか精神状態も悪化してしまってウェーという感じでした。ウェー。
お昼から仕事。仕様再レビューなど。だいぶ具体的になってきたし、今回は慎重に機能を削っているので、とりあえずつらい開発にはならなさそう。
あとInjectionのこと調べていたけど、なんかうまく動きません。Swiftの実効的incremental compileができると思ったのだけど。うーん、僕の環境あるいは試したプロジェクトが悪かったのだろうか。
英語でものを書く方法がわからないという話に関して。そういえば僕は昔から英作文が(英語力の不足以上に)苦手だったけれど、やっぱりそれも同じことなのかなって思う。自分で書いたことを自分が本当に書いているのかわからないという不安。
たとえば僕が僕の言語で、A+aという意味でAと書いたとする。僕以外の人間はそれをAと読んで、A+aとは読まないかもしれない。でも僕はそれをA+aと読む。なぜなら僕はA+aの意味でAと書くからである。だから僕はA+aの意味でAと書くことに不安を感じる必要はない。僕の書きたかったものはすべて読まれることができる。
でも、それは僕が書く言語が僕そのものであるような言語だからそういう安心感を持つことができるのであって、そうでなかったら、それはとても覚束ない仮定となる。僕は同じように、A+aの意味で今度はαと書くかもしれない。だけど、僕はαをA+aとは読まないかもしれない。なぜならそれは僕そのものであるところの言語ではないから、その意味は僕の心中ではなく辞書を参照して解釈されるからである。そしてもちろん、辞書にはそんなことは書かれていない。αとはAである。A+aではない。
僕以外の人は言語に対してこういう態度をとらないのだろうか。僕はこういったことに過剰に拘泥しているのだろうか。過剰とは?
人工知能がどんどん発達して人類を引退に追いやるんですよ、みたいな記事を読んだ。うん、そうだよね、これから人類は老後を迎えるんだから、息子がせいぜい親孝行してくれるといい、みたいな世界観を僕も持っているのだけど、これって一昔前にはまったく想像されなかった感覚なんだろうなって思った。ボイジャーだのパイオニアだの、あいつらはこの星に生きた人類という生物種の存在を広く宇宙に伝えるためにメッセージを積んで飛ばされたのに、そいつらがやっと太陽系を出るか出ないかくらいのところで人類はもう老後の話をしている。メッセージを見て地球を訪れた誰かは、どんな顔をするだろう。ありふれたことだと思うだろうか(無論彼らも機械知性である)。
最近の機械学習の隆盛、僕は計算機科学に明るくないしそのあたりを観測しているわけでもないけれど、要するに我々はもはや問題を理解して内包的な記述を与える必要がなくなったのかな、という気がしている。職人技を理解する必要なんかなにもなく、ただ十分な練習があれば真似ることができるし、スコアさえつけられればもっと上達することもできる。内部にはなんらかの秩序が形成され、それは問題に対する理解と呼ぶことができるかもしれないけれど、別にそんなものを読み取る必要はない。zipで固めてメールで送ってしまえばいい。
そもそも、問題を理解するなんてのが計算量的貧乏性なのかもしれない、とちょっと思う。それは結局圧縮なのだ。少ない言葉で問題を書き表そう、とするのが理解だ。だから、より非自明な圧縮を見つけるために人類はいろいろな概念を抽象化しいろいろなところに適用し、パチリと嵌まったらそれを釣り上げて理解と呼んだ。でもそんなの、人間の脳がこれっぽっちしかないというだけの話で、ぜんぜん問題の解決とは関係のないことなのかもしれない。人間はそういう方法しかとれないから、それが上手くできるとスコアが上がるようにそういうのが楽しくて価値あるように設定して、実際にそういう機能はけっこう発達したけれど、そんなのは巨大計算能力の前にまったく無用であり、我々がきれいな補助線を引いて喜んでいるのを横目にただただ巨大な脳が問題をバリバリと噛み砕いて飲み込んでゆく、そういう光景こそがあるべき姿なのかもしれない。人類は老後なので、暖炉の前で鉛筆を片手に数独とかクロスワードとかやる。それはもう現実の問題解決にはなんの寄与もしないけれど、それは楽しいし、老後の人類にはそういう楽しみに浸る自由があるのだろう。
明日はアプリとサーバの役割分担についてちょっと議論するのと、あとHaskell勉強会の第0回として日程決めたり相談をする予定です。ほんとに勉強会やるんかいな。僕は楽しみだけれど。