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あいかわらず具合がひどく悪いですが、iMac Retinaが届いたので環境設定をしています。わくわくするけど面倒だ。まだターミナルも入れてない(こういう優先順位の変化は僕の変化を反映しているのかな、と思ったりします。以前の僕は絶対最初にターミナル入れたと思うのよね。XCodeは入れたけど。)。
Retinaディスプレイはやはり綺麗です。一緒に買ったメモリモジュール(AppleStoreのカスタマイズで32GB積むと妙に高いので、16GBにして残りの16GBは自分で追加するのがお得、とのことでした)もうまく動いてくれたので申し分なし。ただ画面の大きさに慣れるのにはちょっとかかるかもしれません。あとこのサイト表示したら左右がスカスカでちょっと笑った。これサイドメニュー入れて800pxとかだもんな。いや、それにしても小さすぎないか?調べたほうがいいかもしれない。
それより箱が思いのほか巨大だったので部屋が狭いです。旧マシンもデータとか移し終わったら処分しなくちゃいけないし。旧々マシンは旧マシンを買ったとき(3年くらい前ですね)にfに安く譲ったりしたけれど、今度はそうもゆかないでしょう。自作だから処分が厄介な気がする。まあいまは考えなくていいや……
それよりATOKのショートカットキーとか変えないとな。偶然会社のmacを借りてきているし(作業する予定が入るかも、と言いつつあまりやる気なかったのだけど)、そこからエクスポートできないだろうか。ATOK Syncだかなんだかは辞書は同期してくれるみたいだけどそういった設定はどうもダメっぽいし。
それより具合が悪いのが普通に気がかりなので、明日はおとなしく寝ていようかしら。
艦これアニメの関係で、ネット弓道部員が創作物の弓の表現にうるさいという話題が流行っています。まあ実際鬱陶しい人間も多いのでしょう。だけど、その態度自体が間違っているかというとそうでもないような気がする。
たとえば僕はプログラマなので、創作物にプログラミングの描写が出てきたときはほとんど反射的にその正確さ妥当さを検討してしまうし、それを許容するか否かという判断はその後(一旦顔をしかめた後)に起こる。そこでそれを許容するかどうか、というのはそれが創作物の主題とどういう関係にあるか、という話になるだろう。別に学園ラヴコメに一瞬だけ出てくるスーパーハカーがどんな感じでも構わないけれど、主人公がプログラマで、となるとちょっとどうかと思ったりはする。
で、艦これにとって弓はどういう存在だったかというと、明らかに彼女たちは日本の弓使いをモチーフに設定されたキャラクタであって(もっと言うとそういうトラディショナル日本的「良さ」をはっきりと意識しているだろう)、ただ弓を使うだけの普通の人です、とは言い難い。そして、だったらちゃんとやれよ、と言いたくなることは、それほどおかしなことではないだろうと思う。というか僕もぜんぜん知らないけどちょっと思う。だったらちゃんとやれよ(「空母道」の線もそういう議論で棄却されるだろう)。
で、そういう立場をとったとき、それを徹底されてもエンタメ的にどうなのか、みたいな話が出てくるのだが、弓道に詳しい人はそういうのをちゃんとしていてくれることが嬉しいしそうでないのが不快だし、知らない人はそんなの知らない、となると、じゃあ多数決で決まります、という話になる。そう。少数派の期待が受け入れられなかったという話なのだ、これは。
たとえば箸の使いかたが変なアニメキャラがいたとする。気にならない人は気にならないかもしれない(気づきもしない人がけっこういると推測する)。でも気になる人は気になってしまう。気にせずにはいられなくなってしまう。そんなキャラクタがヒロインだったら、それはちょっとつらいと思う。そういうつらさを、彼らが感じずにはいられないのなら、彼らはどうすればよかったのだろう、と思う。「可愛ければなんだっていい」ではない。それは可愛くないのだから。でも、気づかないふりなんてできないのだ。それなら、自分たちが正しくて相手が誤っていると主張するしかないのではないか。(礼儀作法の類はみなこの困難を抱えていると思う。僕も会社に入ってずいぶん他人に不寛容になったと思う。)