diary

0113

昨晩は結局SublimeTextを断念してAtomの環境を整えていました。SublimeTextのIME対応状況は絶望的で、IMEの変換中のキー入力も全部食ってしまうので、日本語変換中にカーソルがどこかへ行ってしまったりして使い物になりません。SublimeTextは日本語変換の状態を知ることもできないようなので、対策のしようがないです。えー。
Atomは思っていたよりは快適に使えています。ただハード/ソフトタブ周辺の設定が壊れている?気がする。ソフトタブを切ってもハードタブにならないことがある。微妙。
あとatomic-emacsのmarkの見た目があまり好きじゃないので、kill-ring周辺のパッケージを自作してみてもいいかもしれない、みたいな。前向きな気持ちだ。


お昼から仕事。あいかわらず喉はどんどん痛いし具合も悪い。補助で入っていたプロジェクトを抜けて元のプロジェクトに復帰するので現状の説明を受けたのと、3DのアニメイションをiPhoneで表示する技術調査。iOS8ならSceneKitでわりと簡単にできそうだけど、ファイルサイズ的なボトルネックがどこにくるのかとか、どういった技術が使えるのかとか、そのあたりがぜんぜんわかりません(そもそも3Dの物体を表現して描画するということがどういう図式で行われるのかよくわかっていないのでなにを調べていいか困っているレベルです)。まあどうせ暇だしゆっくり調べればよい(もう飽きてきたけど)。

今夜はAtomのパッケージの作り方を調べるのと、いいかげんPHPを書くことにしましょう。あと早く寝る。


ずっと昔、「頑張れ」という言葉が好きじゃなかった時期があって、それはその言葉が命令文だからだった。でもそんな形式に拘泥するのは正しくなくて、どういう言いかたであれそれは応援する想いの表出の符号なんだな、と思い直して、それならいいかと思うようになった。
でも、やっぱりこの言葉は、種をまく人のものではなく収穫する人のものなんじゃないだろうか、という思いが最近すこしある。特に会社で言われた場合それは絶対にそうだ(しかもそれを巧妙に隠蔽して)。だからやっぱり好きじゃないかもしれない。そういう強制を有耶無耶にするな。
社会的上下関係と命令と依頼について以前ふと思った。なんらかの理由で断ることが実効的に不可能な依頼を、依頼の体裁で行うのは不正義ではないだろうか。実効的に命令であることが有耶無耶にされ、あたかも個人の善意や自発性によってそれが叶えられている、かのような構図を認めてはいけないのではないだろうか、みたいな。
とはいえ、命令に思い遣りを添える文法規則が存在しないのだから、そうせざるを得ないのも事実なのだ。となると、それを脆弱性であると知りながら黙認することしかできない、のだろうか……。

どうもあまり明晰でない思考をしている気がする。