diary

0627

お昼から仕事。サブの案件に着手しました。ネットワークを裏でよしなに計らっておく設計、初めてなので試行錯誤しつつです。でもとりあえず形はまとまったので、あとはAPI待ちかな。

会社のiOSチームで定期勉強会をやることになりました。なんだか勢いだけで決めすぎた感じもあるので継続的にできるのか多少心配なのだけど(みんなネタ切れを恐れなさすぎだったと思う)、担当者はちゃんと準備時間を(すくなくとも予定表上は)業務に組み入れてもらえるらしいので、それはよいと思う。そういう文化によって技術の習得に前向きな雰囲気ができるとよいし、チームとしての意識も強くなると情報交換などが活発になるのではないかと期待している。

NSCacheの(オブジェクトではなく)キーにmutableな変数を使うと、あとでその変数が書き替えられたときにシッチャカメッチャカになってしまうっぽい現象について、wtbmにまとめようと思ったのでちょっと実験していたのだけど、僕がそれに気づいたときよりもさらに不可解な挙動をとるようになったので、なにを書いていいやら迷っています。あまりに意表を突かれたので中身でなにが起こっているのかさえわかりません。
「こういう結果が得られました。でも原因もメカニズムもわかりません」でもいいんだけど。でもあそこフィードバック装置がないからそれやっちゃうと何の参考にもならないんだよな……。

Yoがそこそこウケた(らしい)おもな理由としては、いまワールドカップというイベントがあって、「語られるべきことはすべて外部で語られている」ような状態で共感の符号だけをやりとりしたい、というようなシチュエイションが生まれているからなんじゃないかしらと思っていて(だからあれは根本的に実世界に関係の軸のある人たちのための道具だろう)、それが終わって生き残るかは微妙じゃないかなと思う。というかこのままの形では残らないだろう(ひとつの極端として記憶に留められはするだろうけれど)。

そんなことよりも、コミュニケイションがここまで限定された形をとって、それでもなおそこに豊穣さを見いだすことができるのだとしたら(あるいは人類がそのように訓練されたとしたら)、それはチューリングテストが激烈イージーモードになることを意味していて、その先は家電製品がどんどん友達になってくる世界なんじゃないかなと思う。たとえば、僕の家のガス給湯器は、お風呂が沸いたら「オフロガ ワキマシタ」と電子音声で伝えてくる、でも、もしも僕が友人たちと「Yo」だけのコミュニケイションの習慣を持っていたとしたら、ガス給湯器が「Yo」と言うことで彼は僕のその他の友人たちと対等なコミュニケイション対象となれるし、そしてそれは高度な音声合成も自然言語処理も精巧な人型ボディもいらない、現在の技術で簡単にできることなのだ。その方向からの革命の可能性は、もしかすると偉大な転回なのかもしれないと思う。


さて週末。