0910
昨晩のことを書きます。
昨晩は夜更かしをしていて、だけど四時のころにはねむろうとしていて、そしてふと、来月の輪講発表のことを思い出しました。僕はまた、ああ来月になるまえに死ななければならないのだと思い続ける日々を過ごさなければならないのだと、そのことがとてもつらかった。だけどそこから逃れる手段は、大学をやめるか死ぬかしかなくて、死ぬための紐は先日棄ててしまったから、だから僕は死ぬこともできない。でも大学をやめるといったって、ボタンを押せばやめられるようなものではないし、きっと先生たちに何度も説得を試みられるのだろうと思う(これは僕の思い上がりなのかもしれない)けど、そんなのはいやだと思うから、だから僕は大学をやめることもできないだろうと思う。そうしてぐるぐるぐると考え続けているとねむられなくなってしまって、六時くらいまで起きていたと思う。そうしたら外が明るくなってしまったから、もういよいよねむられなくなってしまって僕はほんとうにかなしくて、だけど枕許にアイマスクが置いてあるのを思い出して、それをつけたらどうにかねむることができた。
午前中はカウンセリング。寝不足のせいでとてもねむたかった。なんの話をしたのだっけな。なんだかねむたかったせいかよく思い出せない。ああそうだ、もうすぐ輪講発表がある、だけど僕はこの半年間いろいろやってきたけれども結局なにひとつ克服することができなかった、だからきっと僕はまた今年の一月の輪講発表や三月の学会発表のときのような恐慌状態に陥るのだろう、僕はそのことがとてもおそろしい、だから僕は大学をやめたい、でなければ失踪したい(なぜかカウンセラの先生に死ぬという言葉をつかうのは抵抗があります)、そういうことを言いました。僕はもう、自分がなにかよくなるという希望ももはや棄てかけているのだ、こうして発表練習を繰り返しても、結局なにも改善されなかった、考えてみればあたりまえで、僕に必要だったのはやる気も自信もない発表に対する立ち向かいかたであって発表の技術などではぜんぜんなかったのだ(もちろんそれだって障壁の一部をなしてはいるのだが)、そういうようなことの、どれくらいを話したのか、あまり思い出せません。たぶんあまり話せなかったのだと思います。
それから、先生が僕を、やさしいひとなのだと思う、と言った。僕の話には、怒りというものがまったくあらわれてこない、という。僕には怒りというものがもうよくわからないのですと僕は答えたと思う。僕が僕(だけ)に適用しているルール。もしもその怒りが正当なものだとしたら、怒る必要などなく、正しきことをつかさどる神が審判を下すでしょう、だから怒るのは僕のすべきことではない。もしもその怒りが正当なものでないとしたら、僕に怒る権利などない。だから僕には怒るという行為が必要ないし許されていない。そもそも、怒ってものごとが好転したことなどないのではないかとこれはずっと思っている。だいたいそういうような話をしました。だけど先生、先生はやさしいと言ったけれど、これはやさしさではなくただの臆病と呼ばれるだけのものです、笑いや涙がコミュニケイションであるように怒りもまたコミュニケイションであった、だから僕はそこから逃げた、ただそれだけのことなのです。僕はやさしくなんかありません。僕はただ臆病なのです。
そうして今日のカウンセリングは二十分ほど延長しました(後のひとがいなくて?よかった)。先生は僕の言動を観察してまた腑に落ちるところがいくらかあったのか、すこし考えますというようなことを言ったと思う。でも僕はもうなにかを期待するだけの気力がない。
午後はバイト。寝不足の影響はそれほどなかったと思うけど、すこしいらいらしていたとあとから思う。作業は思っていたほど進まなかったけど、細かいところに手を入れ直せたのでよかったかなとも思う。
今夜はすこし勉強します。UITextInputに対応するサンプル・プログラムの説明をだいたい読んだので、UITextInputのリファレンスとCoreTextのガイドを読まないといけない。それと参考になりそうな実装例をひとつ見つけたからそれも読みたい。あとNSStringでサロゲート・ペア(特に絵文字)を扱うちゃんとした方法について調べなくてはいけない。
明日は午前中に保健センタ。やっぱり僕は僕を殺す薬がほしいと思う。午後は研究室で学会の発表練習会(僕はなにもしない)。資料を読もうと思う。