diary

0829

午前中に保健センタで採血を受けました。この二年くらいでなんだかわりとたくさん採血された気がしますが今日のはなんだかいつもより痛かったです。いま見たらちょっとあざになってしまっているし。まあだいじょうぶだと思いますけど。

午後は研究室にゆきました。が、そういえば木曜日は居室の冷房OFFの日なのでした。ちょう暑い。それでしばらくしたら同期が来たので、冷房の効いた図書室に逃げることになりました。図書室に行くのは初めてで、僕は図書室というものが好きではなかったのだけど(なんだかあのぴりぴりした空気がいやだった)、行ってみたら涼しかったし、人もあまりいなくて空気がそんなに緊張していなかったし、計算の待ち時間に本を読むときもなんだか落ちついて読むことができて、とてもよかった。今度から居室にいづらくなったら図書室にゆくことにしようと思います。インターネットにも繋がるからリモート接続で居室のコンピュータ使えるし。

夕方になってから、同期と夕飯にゆこうとしていたら、博士課程の面接を受けていたもうひとりの同期が戻ってきているとの情報を得たので三人で行くことに。面接はつつがなくおわったようでよかったです。カフェとレストランの中間みたいなところで二時間くらい話していたと思います。なに話していたかは忘れてしまったのですけれども。


今夜はちょっとAutoLayoutの勉強をします。そういえばtagged pointerですが、現状では64bit環境でしか有効でないらしく、しかもiOSって32bitらしいので(ぜんぜん知らなかった)、いまのところなんの役にも立たなさそうです。勉強したのにな。でも、いろいろ調べて、きちんと実験して、どうやらこの情報は間違っているらしいと、自分で判断することができたのは、とてもよかったことだと思うし、そういう習慣がすこしでも早く定着すればよいなと思うから、がんばったことにしようと思います。ふう。
明日はバイトです。そろそろペースが速くなってこないといけないのではと思います。


今日思ったこと。

たとえば、ネギは野菜で植物。豚は肉で動物。リンゴは果物で植物。ネギとリンゴは植物で、豚は動物。だからネギは豚よりリンゴに近い。僕はそういったことを自然に思っている。それは「内在的な」カテゴライズだ。つまり、ネギやリンゴはその周囲の状況にかかわらず葉緑体を含んでいて植物だし、豚はそれがないから動物だ。それらはネギやリンゴや豚それ自体の性質だ。

そこでこんなことを考える。たとえば、食品を、その名前の文字数で分類するとする。するとネギと豚は二文字でリンゴは三文字だから、ネギはリンゴより豚に近い。しかしそのカテゴライズは内在的なものではない。ネギにネギと名付けたのはネギでもなんでもない人間だし、リンゴも豚もそうだ。

それで問題はこうなる。人間は、そのような内在的でないカテゴライズを自然なものとして理解することができるだろうか?それ自体をいくら観察しても知ることのできない分類を、言葉だけをもって自然に理解することができるだろうか?植物や動物という概念を知らない子供がいたとして、そのような分類をより自然なものとして受け入れることはあるだろうか?

認知言語学の本を読んでいたせいか、最近そういう風な疑問がたくさん頭の中に浮かびます。もしかしたら僕はその方向に進むべきだったのかもしれないと夢想する。いやいや、研究というのはそんな一時の興味関心でできるものでもないのよとなだめる。疑問を浮かべるだけが研究ではないのよ。それに取り組まなくっちゃ。ああでも、向こう見ずな問を投げかけ続けて、せめてそれだけでも続けられれば、もしかしたらずっと楽しいままでいられたかもしれなかった、そんな風に思ってしまうのは、いまの自分に後悔を感じているからでしかないけれど。


おわります。