0309
こんなことを思うのはほんとうにつまらない、安っぽい、もっといえば下品な感覚だと思うけれども、それでも、今日という日がどのように記憶されていたのかを思い起こすたびに、感傷的な気分に埋没せずにはいられません。だから、朝起きて、携帯電話のカレンダーが今日がなんの日だったか表示させたときには、すこしだけ、泣きそうになりました。
このblogは、「あまり多くの人が読まないような気持ち」で書いている、と、宣言しているのだけど、それでも書けないことというのはあって、なぜ書けないのかというのはよくわからず、こうして思わせぶりなことばかり書いているのはほんとうに醜いと思うけれども、ああだから、これは僕の過失なのだけども、とにかく、この全体をもって、僕はこうせざるを得ません。
それを書くことで、僕がたいせつにしているものが剥奪されてしまうような気がしているのかもしれません。それなら黙っておればいいのに、こうしてぽろぽろとこぼしてしまうのは、ほんとうにみっともないことだけれども、だから、「あまり多くの人が読まないような気持ち」で、書いています。
そもそも僕はそんなものの実在を信じていない。だからそれを前提するかのように見える言説はすべて嘘っぱちだ。そんなものを僕に書かせる奴の気が知れない。お前はそんなもの、信じていないのだろう?言ってたじゃないか。今だって確信しているはずだ。いいか、お前は、そんなもの、信じていない。お前は、信じていないものに、祈れるのか?
そうさ、それがこの概念の強さだもの。人類が生まれて幾千年、ずっとその心をとらえて離さなかった概念だもの。だから僕は、それの存在を、信じないし、その不在を確信しているけれども、それと同じくらい、「直感的に、」その存在を「知って」いる。
語りかけては、いけない。でも、祈らずには、いられない。
バイトにゆきました。前半は調子が良かったのだけど後半は気力が失われていました。カフェインをとりすぎたせいもあるかもしれません(去年の夏に胃を壊して以来カフェイン駆動開発は避けていたのですが、気分が詰まってくると焦って手を出してしまいます、よくない)。
あと成果報告プレゼンをやりました。今回はちょっと長めにしゃべりましたがわりと限界です。なんとか空回りは避けられたのかなと安堵しています。それでも、軽口を叩くのももう無理があるなと思います。
演じることのできるキャラクタの手持ちが「話し下手だが得意分野の話は相手構わず熱く語り続けるオタク」しか残っていないのに、オタクであるだけの知識も技術も情熱も足りていなくて、いつ化けの皮が剥がされるかと恐れながら演じています。ありのままの自分なんてものは存在しないか人様に見せられないので、なにかしらのキャラクタを被らなくてはいけないのですが、もうそれに限界を感じています。僕は誰のほうも向いていたくない。なにか世界の機能の一部、たとえば重力とか、あるいはもっと、たとえば「右と左が存在すること」とか、そういうくらいの存在になってしまいたいです。ほんとうはたぶん、消えてしまいたいのだと思います(そうでもないのかもしれません)。
死にたいと強く願うことはすこし減りましたが、「死のうかな/生きていてはいけないな」という気分が慢性的に訪れるようになりました。ちょうど試験前に「勉強したくないけどしないと単位落としてまずいなー」と思うような感覚に近いのだと思います。僕は死んだほうがいいのだけど、死にたくなくて、でも死ななきゃなーと思っています。死にませんよ。(僕には)まだ逃げる場所がいくつも残っているのだから。ライフゲージをすこし減らしてコンティニューすることに、躊躇いは(それほど)ない。
帰りはバイトのひとたちとラーメンを食べました。食べられるかとても心配だったけど、わりあい困難は小さかったです。よかった、すこしだけ前進だ。
さて、やっと訪れた週末。とりあえず実験データをまとめたグラフをつくったりしなくてはいけませんが、今夜はとりあえずそういうのは措いておいて勉強をしようかな。
日曜日、たのしみ。そんなに上手にはできないと思いますけど、なんとかやってみます。