diary

二月十五日ですけど!

内なる美徳の声だけを聴け。


祖父が死んだとき、僕はそれを玩んだ。僕は主人公だった。僕は忘れないよと、忘れることなどはなから存在しなかった祖父の墓の前で誓った。僕の生涯最大の中二病だ。

そして、それを中二病と笑ってたたんで片付けてしまう、そんな価値観も僕は好きになれない。


昨晩は帰ったらお酒を飲もうと思って用意もしていたのですが、Sとskypeで話していたらなんだかものすごく眠くなってきてしまって、深夜に起きて活動しようと思ったのにやっぱりなし崩してしまって、朝も六時ぐらいに目がさめてすこし活動したけどやっぱり眠ってしまって、結局十三時間くらい眠っていました。起きてからもずっと眠かったし、いまもけっこう眠いです。どうしてしまったのだろう。でも今夜はお酒を飲みながらHTML5をごにょごにょします。


HTML5、まだまだ実用に耐えないというか、<section>の扱いとかが、ある用途にだけ特化しすぎていて柔軟さを欠いているような、そういう気がしています。まあ、HTMLの思想自体が変わってきているのでしょう。構造を持った文書の表現からwebアプリケーションへ。ただそれはHTML4.01/XHTML1.1の先にあるものとして作られるべきだったのかな、とは思います。

あと、HTML5の置かれている現状として、「技術力」の「アピール」にしか使われていないような感じがして嫌です。特に必要とも思えない技術を、ことさらに自慢げに披露するのは上品な発想とは(僕は)思わないし、かつて僕がやっていたようなことでもある分だけ余計に嫌な気持ちになります。「『最新技術』の『HTML5』を『ふんだんに使っている』から我々は『すごい』」みたいなのはいらいらします。そういう精神って、web2.0のときにもあったように思うし、なんというか、webがとうとう「そういう」人たちのフィールドになりつつあるのだな、と思って残念な気分になります。そういったものをテクノロジーはふたたび打ち倒してくれるだろうか。

連想的に思うのは、iPhone/iPadアプリなんかの開発のことなのですが、「最新の」リッチなユーザ・エクスペリエンスがどうとかいう前にもっと考察されるべきことが山ほどあるのではないかと思うのです。あれは「なんかスゲーことしたい」の絵を描く端末であるべきではないのだと信じています。ドラえもんの夢を見ていいのは子供だけで、大人たちはもっと、子供には見えないものを見ていなくてはならないのに。

被害妄想的な気分。


そういえばねこせぼ(@necocen_bot)の開発に関われと言われたのですが、僕にはあれを劇的にimproveするアイデアは思いつかないし、あったとしてもそれはそんなちょこちょこと実装できるような代物ではないだろう、と予測しています。何かを変えることはたやすいけれども、それが劇的な変転をもたらすとは到底思えないし、そもそも目標があいまいだと思うしね。andanteのHTML5/CSS3計画が一段落して、かつ春休みがまだ残っていたら検討します。CaboChaによる係り受け解析でbotを作っている人がいたけれど、あれが具体的になにをよくするのかとかまだ検討が足らないです。気にはなってる。


今夜はお酒を入れながらコードを。明日もバイトです。