七月四日ですけど!!
四月十七日の晩のことをすこし思い出した。あの時はお酒を飲んでいたから記憶は曖昧で抽象的だけれど、数少ない具体的な風景はどれもクリティカルなものだ。途方もないことをしでかしたものだと思う。
最近になってようやく、自分に恋人がいてどうのこうの、みたいな事実を硬いものとしてとらえられるようになった気がする。慣れてきたのもあるだろう。時々には不安になってわるい考えにとらわれるけれども、僕はこうしていていいと言ってくれるわけだし、それ以上のことを深く考えることは、そもそもの前提を分解して壊し尽くしてしまうことのような気がする。「理由はない」、それを容認して信じること。この論理的には不安定すぎる、だけども見かけ上は強く、安定していて安心感をもたらしてくれる立場で眠るためにはそれをしなければならないのだと思う。それでいいのだろう。この先にあるものは、以前の僕には価値がないかもしれないが、以前の僕が見ていた先には空虚しかないことがもうわかっているのだ(わかったからこそ、かもしれない)。君は真実に向かって飛び降りて死ねばいい(それが君の幸福だろう)。僕はまだ生きねばならぬ。
ああ、これほどポジティヴな気分というのはあとで絶対にネガティヴを引き起こすのだがなあ。
誰かのことを気遣う、ということがよくわからない。僕がやっているそれは、機械に定期的に油を差すのと同じような、メンテナンス的な操作に近い、と思っている。僕以外の人はそうでないようにできるのだろうか。あるいはそう信じられるのだろうか。
かつて僕は、人間の行動は識閾下のどこかのレベルでは常に自分を利するように決定されているのだと考えていたけれど、そのレベルにそのような論理的な正当化は必要ないのだと思うとこの理屈は怪しい。ぜんぶがランダムなノイズから起こったことかもしれないわけだし。
昨晩は結局DVDは観ずインテル入れながらニコニコ動画を観ていたり。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm2398630
小学六年の頃、λが嘉門達夫にはまっていたなあ、とか思い出した。替え歌を小学生以上のレベルで考察したことがないのだけどこんなにおもしろいデバイスなのか、という(笑いに関して自覚的な俺カッコイイ)。
今日は昼くらいまでたらたらして、昼食は下北沢でスパゲティ。それから猫カフェにゆこうと思っていたのですがいろいろと断念。まあそのうちゆくでしょう。おもしろいシャツを眺めたりしながらうろうろして、夕方に用事があるとSが言ったので三時半頃にわかれた。次に会えるのは月末近くなのだろうなと思うとけっこう***(言語化がうまくゆかない。強いて言うならば「次会えるのは月末近くなのであることよ」のような感じ)。勉強がんばらないとなー
それにしても暑い。すこしバテた。体力をつけなけあ、なりません。
今夜は適当な時間にラーメンを食べに行って、余裕があったら実験の予習をします。明日は(ほんとうに)バイトがなくオフらしいので(電磁気学はあるけど)、ゆっくりできそうです。いいかげんにX線実験のレポートを書くべきと思います。あれ締め切り十二日だっけ。
ところで今調べたのですが、物理学演習IVの救済レポート、これから全部出しても救済水準の七回に届かないようでした。六回かな。これはまじでやばい。テストでがんばらないと死ぬ。
というか十三回も提出機会ないじゃないか、なにが半分で七回だ。嘘つき。
これどうなんのかなー。まあテストがそこまで崩壊しなければ大丈夫なのかなー(中間は崩壊した)。自分用に言い訳しとくと一回分くらいは扁桃炎で死んでたせいなんだけどなー(見苦しいなあ)。
上品にいきたいなぁ。いつも落ちついていて、どんなときでも、まず紅茶をすすめるような、そういう感じにあこがれる。それが一歩間違うまでもなく狂気であることは知っている。人間は無数の無害な、それといくつかの有害な狂気の中で生きている。
などと書いていたらfから電話。例のDVDを観ることになった(彼がここを読んでいない確証が得られた。残念だ)。その前に夕飯にしよう。
ツイキ: すてきな便箋、それから封筒(?)を。住所は既知。