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昨晩は「レトリック認識」を読んでいました。レトリックの本だけあってか文章もとてもすてきです。「私が口をつぐむときは、その沈黙さえも日本語である。」「私たちは日記すら、常套語を工面しながら、他者のことばを引用するようにしか、書くことができない。」そういえば、書くということが真実存在しているのだろうか、というのはこれペンの問題意識でもあった。
お昼から仕事。真っ当に風邪い。実装はまあまあ順調に進むのだけど、WebAPIのリトライ絡みのことを有耶無耶にし続けているツケが回ってきた気がする。まあ、まだ余裕あるうちに回ってきてくれて助かっているのかもしれない。明日もこのことを考えるでしょう。
精神の工合が今よりずっと悪かったころは、心の中を覗き込むと満天の星空のようにきらめいて、そのひとつひとつがそれぞれに苦しみを背負い込んだ言葉たちだった。僕はそのひとつひとつを指差すだけでひとりでに一連の表現がするすると流れ出てきたものだった。でもいつからか、もはやそうではなくなって、心の中を覗いても、光沢のない、のっぺりとした膜のようなものが僕をぶよぶよと拒むばかりで、なにも書くことはできなくなってしまった。そのことがよかったことなのかどうか、僕はよくわからずにいる。
ノーベル賞、なんか待ち時間が長い感じになっているらしいのだけど、まあ偉大な発見が年に一個ペースとは限らないもんな、という話なんだろうと思う。その点年齢制限のあるフィールズ賞は偉くて、どんなに偉大でも出さないものは出さないと言うことができる。まあ年齢制限だけじゃだめかもしれないけど。あと数学者人口とか。