0923
もしも私的な言語をただ口にしたり心に刻むだけに留めるならば、それは言語としての資格を持たないが、仮に他者とのコミュニケイションに用いないとしても、日記という形で時間を隔てた(いま感じた私的体験について完全な記憶を持たない)自己とのコミュニケイションに用いるならば、それは言語の資格を持つ、この意味で私的言語は可能である、みたいなことを言っているのだろうか?
昨晩と今日は成年コミックの類を整理しました。これちょっと多くない?(しょうがないじゃん(しょうがないとは))
10年前の雑誌とか出てくると、その時のことがかすかに思い出されて、ああ時間が流れているなあと思います。
単行本の類は表紙を裏返せばそのまま資源ゴミに出せるとして、雑誌の類はそうもゆかないので廃棄サービスに送ります。明日の夕方に集荷で、そのあといろいろ手続きしなくては。
それと衣類も整理しました。新品らしきものは実家に送りつつ残りは処分。なぜこんなに僕の知らない衣類があるのか。僕の精神構造が記憶から抹消した可能性も捨てきれない。
あとは燃えないゴミの類をすこしずつまとめて捨ててゆくのと、あとこの巨大なレーザプリンタをいいかげん処分したいような気もする。それから結局手つかずの旧計算機と。
これだけやれば少しは生活がよくなるだろうか。僕は僕の不自由な精神を少しは乗り越えられただろうか。そんなことないのかもしれない。また何年も掛けて同じことを繰り返すだけなのかも。誰か僕を助けてくれ。
今夜はIRKitかな。昨晩でIRKitにシグナルを学習させてアプリで受信するところまでは理解したので、今夜はUIをちょっとちゃんと作ってみようかしら。そういえば、ボタンに表示する画像をアイコンフォントで賄おうと思ったのだけど、テレビや冷蔵庫はあってもなかなかエアコンのアイコンというものがなくて、どうやら欧米のエアコンはこういう形をしていないらしいことがわかったりしました。さもありなん。