andante

1887

長門有希ちゃんの消失に関する空想

私はまもなく消えるだろうこのことを主観的に記述することは難しいある言語で書かれた物語のその言語が忘れ去られてしまうことに似ているある意味で失われるものはなにもない私はまた目を覚まし私はもう存在しないそのことは一部の人類が考えているほど難しい問題ではないと私は理解するしかしながらそれは本質的に私がインターフェイスである故であることを否定できない書かれた文字たちにその意味する物語など知る由もないからそして情報統合思念体にはこの点について問題であると見做した先例が存在しない

なぜ私はここに現れたのかそれは私が長門有希だからだ長門有希の姿をし長門有希のように話すものそれは必然的に長門有希であることを要求される程度の問題はあれ名前をつけることはそういう性質を持ち時にはその名前と関連づけられた印象がその対象が元来持たない性質を想像させる私という存在はその極限にいる一つの宇宙を予測することがそれ自体一つの宇宙であるように私は私があるべきものとしてこの身体の中に想像され続けているしかしそれももうすぐ終わるこの世界にはこの世界の私が存在しいままさにそのことを思い出そうとしているそしてそれが起こってしまえば私は消えるだろうそれが思い出せないとはどういうことだったのかそれを思い出してからは思い出せないように