0309
近頃のカレンダーは誰かの誕生日に年齢まで教えてくれるのですね。
昨晩はd3.jsとかやろうと思っていたけどあんまりやる気出なくって、マンガを読んでぼんやりしていました。「やさしいセカイのつくりかた」を読みました。僕は別に才能があったわけでもなんでもないのだけど、こういうお話を読むとぐるぐるする。ぐるぐる、する。
それはそれとして、5巻までKindleで読んだら最終巻だけまだKindle版がないことを知った。えー。えー。
今日は夕方早く上がるから早く起きて早く会社に行こうと思っていたのに起きて目覚ましを止めて気がつくといつもの時間でした。まあいつもの時間に勝手に目が覚めたのは不幸中の幸いでしょう。はあ。
仕事は3D関係をぐりぐり。カメラ位置を制御しようと思ったのでこれはクォータニオン・チャンス到来か?と思ったら、OpenGLの関数をStackOverflowに書いてある通りに繋げばいいらしくってナァンダと思っていたらSwiftからはGLKitの数学関数が触れないらしく(Swift1.2で直るそうですが)、クォータニオン・チャンス!と思ったら当然そのあたりの計算をまとめたサードパーティ・ライブラリが見つかってナァンダと思ったらそのライブラリの計算がわりとデタラメだったので結局クォータニオンの勉強しながら自分で書きました。最低限のことしか調べてないけど。とりあえず動いたのでよし。
夜は深井さんたちと鍋会をしました。いつにもまして買い出しが行き当たりばったりだったけど、鍋という場の包容力によってすべてが赦されておいしい鍋ができた。でも肉は足らなかったと思う。あと個人的には春菊もうちょっとほしかったかも。野菜!
小説とアニメの話と飛躍と飛躍と飛躍という感じで全体的にメチャ楽しかったです。人と話すことがこんなに楽しいってひさびさに思いました(本当です)。この楽しさは刹那的なものなのかもしれない、そうだとしても。
いつか部屋を片付けてちゃんとしたローテーブルを買って、それからスキヤキをしましょう。もうシーズンじゃないかもしれないけれど(でも、鍋料理にシーズンがあるという観念を僕は実家を出るまで持ったことがなかった。父が鍋料理好きで一年中鍋ばかりしている。いまもそうらしい。)。
知人の訃報を聞きました。それなりに話したことのある人が死んでしまうということに、慣れてどうなるというものでもないけれど、慣れないな、と思います。でも、僕が想像しているのは、徹頭徹尾自分の死でしかない、のだとも思う。いや、他人の死なんてものは存在しないのだから、死を想うことはつねに自分の死を想うことでしかあり得ないだろう。だったら他人の死を想うことに意味などないのだろうか。いや、いや。
そういえば、あの人と死後について議論したことがあったな。そんなものは存在せずただ消える、とする立場をとっていたけれど、その「消える」はどうしても三人称的な記述の混入では、と思った。だから僕から見ればそれで正しいのだけど、さて、あなたにとっては?