0213
https://www.youtube.com/watch?v=PCp2iXA1uLE
脳が弱いので「踊ってない夜を知らない人とかこの世に一人もございません」の理解に曲の終わりまで掛かる。
このblogのアクセス解析をひさびさに(強調(冗談))見たところ、僕の精神状態の悪化とアクセス数に正の相関があることが見いだされました。具体的には2012年の二月から2013年の終わりごろまでのアクセス数が他より多い。というかそれ以降が少ない。まあ、会社入って以降いたって平凡な日々のことしか書いてないもんな。むしろそれでもまだ読んでいる人がいるのか(ありがとうございます)。
お昼から仕事。また体調いまいちっぽい朝だったけど、このいまいちさは普通のいまいちさ(形容矛盾!)なのでまあ大丈夫でしょう。まだ多少疲れている感じはあるけれど。
仕事は共通NavConの検討。とりあえず要件を洗い出してみてためつすがめつしていたのだけど、僕の寝込んでいる間にデザイン変更で標準+αくらいで実現できそうな感じになってることを知った。あら。解きがいのある課題だと思ったのだけど(コンテナ作るだけならやったことあるけどInteractive Transitionと絡めるのはちゃんとした経験がないし、NavBarのアニメイションも同時に行う(TransitionCoordinatorを使う?)のはまったく未経験だ)、まあ時間に余裕もないしこれでよかったのでしょう。とりあえず来週の前半で+α部分を作ります。まだ課題が完全に解消したわけではないし、未経験でもある。
あとJenkinsでビルドする体制を整えていました。プラグインをもう一つ追加したらProvisioningの管理をJenkins上でできるようになったので、これでもうvncでスレーブにログインしてゴニョゴニョする必要がなくなった、はず!となるとこれは正気のワークフローという感じがしてきたので、まとめて提案しようと思います。まあ、そのうち。
命題論理の「ならば」の真理値表が日常語と比べて不自然だ、という話はよく聞くし、実際僕もそうだと思うけれど、単に見慣れてしまっただけで、空集合ジョーク(空集合に対する全称命題が「空虚な」真であること)とかもかなり異常なことを言っているような気がする。「存在しないものに対して『すべて』もなにもなかろう」みたいな素朴な反応を長らく見ていないけれど、おそらく日常語としての「すべて」はそういう反応を惹き起こすべきものだし、それは僕が「ならば」に対して抱く不自然さと同じものなのかもしれない。じゃあ慣れられるのか。それは知らない。
という考察の発端となったのは、会社の同僚が「ヴァレンタインに彼女に会えなくて寂しい」と言ったのを受けて反射的に(本当に反射的に)「僕はヴァレンタインにすべての彼女に会える」という命題を思い浮かべたことに対するいろいろの反省であった、というあたりがこの話のオチです(安易な非モテねただ!焼き払え!(安易などではない!こっちは真剣なんだ!))。
$\Z\left[\frac{1+\sqrt{-11}}{2}\right]$が素元分解整域であるという事実から、$y^2=x^3-11$の整数解が$(3, \pm 4)$と$(15, \pm 58)$に限られることが証明されたのだけど、これを見て宇宙!と思いつつ、でもそれってたまたま都合の良い性質が都合良く使えただけちゃうのん、とも思い、そしてその間の差異がなんなのかもよくわからない。つまりさ、この$\Z[\text{某}]$が素元分解整域であるという事実は、$y^2=x^3-11$という曲線のなんらかの性質と「ちょうど同じだけの重さ」の何かなわけ?みたいな。いや、違うかな、数ある環のなかでも素元分解整域たちだけが持っているキラメキが、数ある曲線の中でも$y^2=x^3-11$たちをキラメかせているの?(そういったキラメキがこちら側にも見えるの?)みたいな。いや、さっぱり説明できない。もしかするとナンセンスな感覚なのかも。うーん。
有理点の話をするなら$\Q_p$が、整数点の話をするなら$\Z$を拡大した環が便利、というまとめでいいのだろうか。でもこの二つがそれぞれ便利なのはぜんぜん別の理由だよな、たぶん。
そのための眼を持った者にとっては、答えはあらかじめ問いに埋め込まれて見える。