diary

0902

お昼から研究室にゆきました。研究室というか図書室。今日も快適に計算を進めながら本を読むことができました。四時くらいからは計算は飽きたので本ばかり読んだりインターネットをしていました。まあまあ有意義な時間。すくなくともつらくはない。

夜は同期たちと一緒にケンタッキーにゆきました。そう、ケンタッキーが急に食べたくなったのです。ケンタッキー、知名度のわりにあまり食べたことがない(でもマクドナルドだってそういえばこの三年くらい食べていない気がする、いやそんなことないか)。


「「ある言語では良い意味に、別の言語では悪い意味になる言葉を水に聴かせればどうか」などという問題に頓着するのはまったくの愚問であり、答えはもちろん「ある言語では美しく、別の言語では醜い結晶ができる」である。使用する言語がものの見えかたに影響を及ぼすと知られたのは今を遡ること二世紀、」
ここまで考えて放置。ちょっとほめられたのでうれしい。そう、書けただけ、をゴリ押しして無理を通す馬力がほしいですね。

今日思ったのは、僕は僕が日本語で思考しているように思っているけれど、それは僕が日本語しかまともに使えないからそう思えるだけであって、思考してる脳の側としてはただの無機質な記号を操作しているだけなのではないか、みたいなこと。このことを考えると僕って誰だという問題になるけれども。でも日本語も英語も手話も言語野サイドからはなんの違いもないのかもしれないし。
こないだ僕は「思い浮かべる」ことで何かを思い浮かべられる気がするのは気のせいかもしれない、みたいなことを書きましたが、「考える」こともそうなのかもしれません。考えるってなんだ?頭の中で「考えるってなんだ?」という声がしたような気がする、それはほんとうに「そういう声がした」気がしたのか?騙されていないか?僕が思えることがそれに限定されている、僕は「『そういう声がした』気がする」ことしか許されていないだけなのでは?

世の中には手話でコミュニケイションをとり、手話で考え事をするひともいるのだと思うと、世界の広大さの前に目眩がする。人間は人間同士でさえ、こんなにもわかりあえない、こんなにも遠い。僕の想像の届かない世界がこんなにも広大なのだと。


明日はバイトです。カウンセリングは先生の都合でお休み。だけどこないだの採血の結果を聴きに行くのでやっぱり午前中に保健センタにゆきます。