0724
Wakalixes makes it go.
午前中に保健センタへ。自意識の話はなしで、僕の就職の話。
僕はいま、バイト先で仕事をすることで自分をよい方向に進められるのではないか、そうしてたくさん勉強をして、優秀な技術者になることができるかもしれない、という予感を感じている、という話をしました。そういう前向きな気持ちはとてもよいと思います、みたいなことを言われた。
僕が本当に言うべきだったのは、でもきっとそうじゃなくて、僕は大人になりたくありません、というただ一言だったのだろうと思う。僕は就職活動という通過儀礼を回避したいと考えている。ただそれだけのことなのだと思う。みっともない。
先生は僕のことをずいぶん気に入ってくれているようだけど、僕にはいまいち実感がないというか、自分が好意的に評価されるということに対してどんな態度を取ればいいのか迷っている感じです。もしかすると僕はそれなりにひとに好かれるほうなのかもしれない。Twitterでもたくさんのひとがフォロウしてくれているし、友人にもそこそこ恵まれてきたと思う。こんな日記だって読んでくれるひとが何十人かいる。だけど僕はちっとも安心することができそうにない。僕はそうしている間も不安で仕方がない。みんなに嫌われてしまわないだろうか。傷つけてしまわないだろうか。場の空気をぶちこわしてしまわないだろうか。僕は適切なふるまいをできているだろうか。そういう不安をずっと感じている。
午後は研究室へゆきました。準ボスが来て、二週間後に僕の研究の方針について議論しましょう、最近やっていたことをまとめておいてください、と言った。これでやっと進むべき方向をはっきりとできるかもしれない。うまくゆくとよい。
それと師匠も来て、やっぱり僕の研究の落としどころについてすこし相談、というか助言をくれました。とりあえずいま調べているシミュレイションをいろいろパラメータの幅をとって体系的に調べてまとめてみれば、ということでした。なのでやってみようと思います。でもちゃんとした理由づけができる気がしないのよね。
今日は教科書の内容もすこし飲み込めたし、それなりに意義のある一日だったと言えるでしょう。よかった。明日もこうであるといい。
なにかを主張するとき、その根拠となる事実やそこに至るまでの論理というものがあって、どんなに主張が正しかったとしても、その根拠や論理が正しくなければ、その主張は正しくないものと解釈されるべき、ということを思っています。でもきっとこれは全員の同意を得られるというわけではないだろう。
正しくない根拠や論理からその主張を導く(ように見せかける)ことこそが、その主張の価値をなにより傷つけるものなのだと思う。自分の主張を大切だと思うのならば、そこへ至る根拠や論理を可能な限り精密に準備しておかなければならない。
そういえば今日なんとなく数えたら、旧ねこせぼのフォロワが200人くらいで、現ねこせぼのフォロワが70人くらいでした。単純に計算して僕のコンテンツ力が三年間で1/3になったと解釈してよいものなのか、どうか。まあ僕もずいぶん変わってしまったように思いますからね。昔はもっと陽気だった、というより憂鬱にならずに済んでいたのでしょう。
ときおり、僕の文章をうつくしい、きれいだ、と言ってくれるひとがいます。かわいい、と言ってくれるひともいました。でも僕にはそれがよくわかりません。僕はただ自分の思うようなことを自分の思うようなふうな声で書いているだけなのです。文章を書くための訓練を受けた経験もありません(小学校の作文をそう呼ぶなら、ありますけれども)。
このこともすこし僕の不安を形成する要因になっているようには思います(僕は「僕が書くように」書けているだろうか?)。でも、ほめられるのはうれしい。ありがとうございます。精進します。
アンダンテ。歩くような速さで。
今夜はまたいらいらソリティア機械になっています。ただいまの記録は73秒10226点。でもインターネットで調べると35秒とかいう記録があって、ハァ道は遠いナ……と思いました。べつに張り合う気はないのだけど。
明日は木曜日で、いつもはM1のゼミがあるのだけど、明日はM1たちが授業でどこかへ行っているのでなしだそうです。やった!なのでお昼くらいまで眠っていてもいい(いや、生活リズムという観点からそれはどうか)。お昼頃に研究室に行って、いろいろシミュレイションをまとめたりしようと思います。
それと帰省のための新幹線の切符を買えたら買おうかなと思います。日程のことをこれから母と相談するつもりです。