0205
なにもしていません。
午後からバイト。あまり能率は上がらず。肩こりがひどいです。
先日グループ・ディスカッションに行った会社からお祈りメールをいただきました。初めてです。また会社を探さなくてはいけません。
正直なところまったく気力がありません。死んでしまいたい。
そういえば研究室の英語セミナの次回の発表順が決まっていました。四月の半ばです。ということはそれまでに死なないといけないのだな、と思ってみて、いやいやそんなことはありませんよと思い直すのだけど、じゃあどうしたらいいんですか誰が発表するんですか僕でしょう誰がその準備をするんですか練習をするんですか僕でしょう僕はもう嫌ですよそんなもの、となってしまってああ死のう、となります。死のうよ。ねえ。
ああ、もしも僕にすこしでも護る価値があると思うのならどうか僕をお護りください、世界よ。そしてもしもそうでないのなら、いますぐどうか殺してください。
明後日の打ち合わせの資料も作っていません。そういえば結局計算もすすめていないし考え事もすすんでいないし、困りました。
カウンセラの先生は、僕が、ほんとうは実現可能なさまざまな可能性を想像できずに落ち込んでいるのだと思っている風でしたが、そうではなく、可能性はいろいろと見つけられるのですが、そのどれもが選びたくないか選べないものに思われてしまう、のが問題なのだと思いました(そう言ったと思うけど)。
僕はなぜ死ななければならないと考え、にもかかわらずなぜまだ死んでおらず、それによってどのような困難と苦痛を感じているのか、それをきちんと記述して読んでもらったほうが手っ取り早いような気がします。週に一時間の診察ではまとまった話をするにはあまりに短いし(僕はどうも理屈っぽい側の人間らしいのです)、正確に伝えるのもむつかしいと思うからです。しかしそんなものを読ませてしまうのは明らかに過剰な労働を要求することでしょう。
今日は二時間くらいくよくよしていました。
死にたいって書いていてもちっとも深刻な感じしないので黙って死ななくてはいけないのかなあ、とか書いてみてもちっとも深刻な感じがしません。ぜんぶ嘘っぱちだもの。
ああでも嘘でも僕はもうなにもしたくないし、なにもしないのならば死ぬしかないだろう。僕に幸福などもうない。すべて僕の自業自得ですわかっています、僕は僕のどういったところが僕の幸福を妨げて僕を困難に陥れているのかきちんと理解しているのにそのために対策する気力がまったくないので不幸になるのは当然ですし死ぬしかありません。死なないで生きてゆく方法は僕にはとても惨めなものしかないと思いますしそういった局面でこそ僕がもっとも不得意としているような能力が必要となるのでしょう。たとえばひとりで知らない街で暮らそうとしても僕はまず家を借りることもできないでしょう(こわいから)。僕は年金の学生猶予申請の書類を郵送するのに九ヶ月掛かったのですよ。電話するのがこわいという理由でもう使っていないNTTの回線を二年以上支払い続けているのですよ(ほんとうに愚かだ、死にたい。これがもとで何万円無駄にしているのか僕は考えたくないが十万円は超えている計算になるだろう、死にたい)。
こんな風に死にたい死にたいと無駄なことを口走り続けているくらいならさっさと首を吊ってしまえば手っ取り早いのである。案ずるより産むがなんとやらであり殺す場合は一寸ちがうのではと思案化カリウム。なぜそうしないかというと怖いからです。失敗することが怖いし死ぬまでの過程は理性的にはとてもできないと思われます。なんらかの方法で理性を吹っ飛ばした状況でなら可能かもしれません(可能でしょう)。そのための手段はありません。求める勇気もありません。要するに死ぬ勇気がなく死ぬ勇気ってなんだよふざけんじゃねえよ、とは思う。いやしかし、議論によって死ぬべきと決議したのなら、恐れを乗り越えてそれを実行に移すのはまさしく勇気の作用であろう。深淵を覗き込みすぎて深淵に私生活を丸裸にされてしまうってのはまた別の話です関係ないです。
僕が悪かったのはもうわかりましたから、もうやめてください。僕が苦しまなくてはいけないのももうわかりましたから、もうやめてください。死なせないのも生かすのももうやめてください。僕はいまこれを真顔で書いているのだ。ねむい。まばたきをするのもわずらわしい。思考が結像しない。指先が勝手に話す。その指先もなんだか丸まってしまって気がつくと変なところに力が入っていいいいいいいとか打つ。僕は死ぬしか無いのだと思う。それが一番楽だ。なぜそう思うかというと僕はもはや社会に受け入れられる可能性がないと考えているからでそれはなぜかというと僕は社会的なシチュエイションがとても苦手でそこから逃げることばかりを考えているし逃げられないとこうして死にたい死にたいと言ってまだ逃げようとするしどうしようもないからです。たとえば大学をやめようとすると研究室の先生や先輩や師匠とどんな話をして良いのかわかりませんしそれが怖くてたまらないから今日まで大学をやめずにきました。なぜ大学をやめようと思ったかというと大学で要求されるさまざまな能力が自分には欠けていると感じ、またそれを補うための努力もできないからです。具体的には人前で話したり研究をする能力で、授業で発表をするのにも大きな困難がありましたし、それはこの先にも何度も要求されることだとわかっています。研究する能力も足りていなくて僕はたぶん正直なところ研究になんの興味も持っていなくていやいやさすがにそんなことないだろうそもそもほんとうに好きなことばかりみんながやっているわけではないだろうと思うのですが僕にはそもそも興味を持って探究したいという欲求が存在しなくてただ本を読んで勉強していられたらそれでいいと思うのでそれを仕事にするのはよしたほうがいいと僕は大学院に上がるまえから知っていたのにそれ以外の選択肢を選ぶのがこわかったからこうして大学院にきてやっぱりだめだったねと弱音を吐いているだけであってほんとうに全部僕が悪いのです。こうなることは最初からすべてわかっていたのに僕はそのことを考えないようにしてなんとかなると思ってなんとかならなかっただけなので僕が破滅するのは当然のことであり不幸になるのは自然の摂理に則ったものであると考えられます。このことについて僕以外の人間に責任を問うのはお門違いというものです。飛んで火に入る夏の虫というだけの話です。よくもこれだけネガティヴなことを書き続けられますねだって事実なんだから僕はただ事実を順番に指さしてゆけばいいだけなのですから。とにかく大学はやめなくてはいけないと思うのです。これ以上ここで誤魔化しつづけるのには限界がある。興味があるふりをしたりももう無理だ。
じゃあこんどはどうしてそれがすぐに死ななくてはいけないことになるのかについて考えなくてはいけませんがそれはなぜかというと大学をやめるということはつまりもはや学生ではいられないということで仕事をしなくてはいけないわけですが、僕は就職活動にもまったく身が入らずやっとの思いで応募した企業には断られ二の句が継げずといった有様であってここまで筋金入りの社会不適合ということになるとこれはもう社会に出るということは想像も出来ないわけです。会社に入ればもっと多様なひとたちともっと多様なタスクをこなしてゆかなければならない。発表する機会もあるでしょうしそれ以外にも緊張する場面はたくさんあるし失敗を咎められることもあるでしょう。それらすべてが僕にはもう到底できないことのように思われます。だから就職なんてできないと思います。毎日朝早くに起きるのも無理だしそもそも毎日仕事をするのが無理だ。なぜ無理かというといま無理だからです。
もうひとつ、とにかく休学するという選択肢もあってこれについてなのですがやっぱり無理だと思っていて、まずこれは大学をやめることと似ていますが先生たちになんと言えばいいのかよくわかりませんしちょっとやそっと休んだくらいで元に戻るのかもよくわかりませんし戻らないのならお金をどぶに棄てるようなものであってよしたほうがいい。経済的にも奨学金は停止してしまって苦しい期間になるだろう。生活のために僕はアルバイトに精を出さなくてはいけなくなるだろう。でもそうやって毎日仕事をすることそのものが僕には無理そうだと投げ出したのではなかったか。だから無理です。それに一年や二年休んだところでその先に就職活動をしなければならないことにもかわりはありません。僕は物心ついて以降働きたいと思ったことなど一度もありません(これはきっと嘘です)が、それを一年や二年で治せるとは思えない、というのもひとつの傍証になります。
とにかく僕には僕が今後生きてゆくための適切な方法がわからなくなってしまいました。というよりもはじめから無かったのではないかと気づきつつあります。だから僕は死ななければならない。これ以上他人のリソースにフリーライドしていてはいけない。みな初めのうちは助けてくれるかもしれないが生涯にわたって僕を助けてくれることなどあり得ないのだ。あり得ないのだ。あり得ないのだ(そう、僕は何度もこれを読み上げなくてはならないだろう。僕はいざとなれば他人が助けてくれると思いすぎているのだ。実際には誰も助けてはくれないのに)。
ああ、図らずも最初に書いたような文章をつくってしまった。僕はこんなものを書いてただ同情を誘おうとしているのだ。同情されたっていいことはないのでそんな機能は殺してしまいたい。この異常者め。
じゃあ僕はどのようになら生きてゆかれるのか。大金が手に入り生活の苦労がなくなること。嫌なものを嫌だと退けられる生活。なんだそれ。子供みたい。これが二十三歳の男の言うことですよ。みっともない。僕はもう嫌だ。こんなことを言うために二十三年も我慢してきたわけじゃないしさっさと死んでしまうに限る。死なないくせに。死のうよ。どうせ死なないなら一回くらい試してもいいんじゃないの。どうせ途中でやめるんだから。やめてくれ僕は死にたくないんだ、こわいから。それに僕はいまだに幸福に期待している部分だってあってそんなものは得られないっていいかげん理解しろと何度も言っているのに。あり得ないのだ。あり得ないのだ。あり得ないのだ。
僕はもっとすてきな人間であろうと決意したはずだったのに。
さいわいなことにカレーはおいしいです。ごはんを三合炊くと夕食二回と昼食一回にちょうどいいことがわかりませいた。大鍋のカレーが何食分なのか、公称十一食ですが、はたして。
本を読んで買い物をして夕飯のしたくをして、みたいな生活、したいです。
これはたぶん現実逃避の願望でしょう。