1001
午前中はカウンセリングでした。大学をやめたいという話をしたと思うのですが、あまりおぼえていません。なんだかふわふわした話ばかりしていたような気がします。あとずっとねむたかった。
午後は研究室にゆきました。昼寝をしようと思ったらなにかのセミナがあって、みんな参加するので僕も行って居眠りをしました。ほんとうにつらい。それから図書室に行ってまたすこし昼寝をして、それからなにもしませんでした。なにもしなかったのです。勉強も研究も輪講の準備も、そのための文献探しもなにもしなかったのです。なにかをしなくてはいけないことは知っていましたが僕はなにもしなかったのです。なぜだろう。僕はもう、大学をやめることしか考えられなくなっているのだと思います。僕はもはや僕が大学をやめるのを妨げようとする人間を敵だとみなしつつある。そんなのは間違っている、間違っているのに。
ああでもちょっとだけバイトの作業(気になっていた部分を修正したり)をしたり、あとmacbookの環境を整備したりしました。Alfred2というランチャ?を使っているのですが、だんだんと便利になってきたぞ、というような。
だんだんと四月五月頃の精神状態に近づいているのを感じます。というより夜はずっとそんな感じでした。僕が以前死にたいと思っていた気持ちが、そっくりそのまま大学をやめたいという気持ちに変わっていて、それが叶わぬならばやはり死ぬしかないと思います。そうして苦しい気持ちになっていると、不思議なことに頭の奥底のどこかではそれが快楽のように感じられるのです。心はこんなに苦しいのに、頭はどこか気持ちいい。
僕が死ぬことをせずにいる理由について。確率的に失敗するかもしれない自殺の手法を用いたとき、それを実行してから「目が覚める」のはつねに失敗した自分であるということ。すなわちすべての僕が自殺に失敗するということ。それに伴ってなんらかの後遺症が残ったまま生きる可能性が一番こわいと思っています。すべての僕は死に損なう。死は僕の外側にあるから。
なんかちゃんとしたこと書く気力がなくなってしまったのでこのへんで。明日は午前中に保健センタにゆきます。午後は研究室にゆくのだと思うのですが、今日の感じだとなにもできないし、勉強することもできなくてどんどん苦しくなってしまうだけの時間を過ごすことになってしまいそう。どうしたらいいのだろう。もうだめかもしれない。死ぬしかない(でもそれは上述の理由でできない)。大学をやめるしかない(でも簡単にはやめさせてもらえない)。どうしたらいいのだろう。もうだめかもしれない。