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あらゆるフィクショナル美少女たちは、それ自身が僕と彼女との絶望的な隔たりを示す記号でもある。
起きたときはちょっと具合よかったのだけど、結局同じでした。37.0℃前後。いったいこれはなんなんだ。単に持病が悪化しただけなのか、それにしたってもう三日も放置しているし余計まずいことになってはいないか。金曜日のうちに病院に行っておくべきだったのだが、その時点では熱はなかったし単に貧血だと思っていたのだ……。実際まだそうときまったわけではない。でも単なる風邪で微熱が三日ってこともないだろう。それなりにおとなしくしてたんだからとっくに下がっているべきなんだ。そう考えるとやっぱりなにか深刻な事態なんじゃないかと心配になる……。
そう、具合が悪いのは別にいいのだ(よくはないけど)。ただ仕事に出られるかどうかだけが不安だ。金曜日にも休んでしまったし、余裕のあるスケジュールとは言いがたい……。そんな状況で何日も休むなんて、とても僕にはできない。そんなこと言ったって実際動けなかったらそうするしかないんだ。怖い。不安だ。助けてくれ!
そうして不安になったとき、僕はいつもそれを言葉にすることで忘れようとしてきたように思う。書くことは僕の中に野放図にわき起こる思念たちを縛り付け、制御する術を与えてくれるような気がする。言葉にすることは、言葉にならなかったことたちを消去することでもある。
物語に救われる、みたいな話がときどきある。僕にはよくわからない。畢竟、僕には物語というものがわからんのだろうな、とも思う。物語素片みたいなもの、そういう雰囲気は感じられるような気がするけれど、物語を物語として、その大きな力に身を任せる、ようなことは、僕にはついにできなかった。僕を救ってくれた言葉があるとしたら、それはこうして書かれた不安たちで、それは僕によって書かれるということでしかその力を行使できなかったものだ。それはあまりにも言葉そのものの力で、誰かのために使える力ではないように思える。そうではない、かもしれないけれど(僕のメンタルが窮まっていた時期はこのblogの読者数が比較的多かった、という事実もある)。
明日はできるだけ早く起きて、金曜日の血液検査の結果を聞いて、それから定例の病院を一日早めて行って、それでどうなるかはわからないけれど……。もちろん、一番望ましいシナリオは僕が気がかりな夢から醒めるとまったく元気になっていることなんだけど、そんなこと無邪気に祈れる気分じゃない。もちろん、朝起きることなく息を引き取るのも歓迎だけど、痛いのは嫌だな。自分でも気づかないのがいい。ああ、それはなんという贅沢か。
世界中の人間が一人残らず安楽死すればいいんじゃないだろうか。反対する人なんかいるんだろうか。なんのために。ひょっとして生きてて楽しいんだろうか。