0310
仕事の前にちょっとnecoboardいじった。UARTで左右の通信ができるようになった?っぽい。ただタイミングによって固まったりすることがあって、これは何だろうなあと思っている。たぶんいろいろタイミングを見計らわないといけないのだろう。明日ちょっとチューニングしよう。
仕事はなんだっけ。今日は眠いから思い出せないな、まあいいや。
人間は言葉、ロジックの力で大規模な共同作業ができるようになったし、抽象的な概念を操作できるようになった、それは間違いのないことだが、結局は(しばしば揶揄されがちであるような)お気持ちから離れて生きることなど(当面は)できまいと思うと、まずはそこに軸足を置いてすべてを考えねばなるまいと思ったりする。言葉はお気持ちを説明したり加工したりするだけで、何もないところに言葉がロジックが浮かんでいるわけではない。
もちろん、たとえば組織を大きくしていくならば当然そのような道具の力は不可欠だ。思想というのは誰もが同様に語れるからこそ価値がある。資本主義社会でやっていくなら資本主義の論理に従うことも必要だろう。でもそれはあくまで従属的なことだ。仮にお気持ちの宿っていない組織がどんなに拡大してどんなに利益をもたらしたとして、それが何だ。空気は生きるのに大切なものだが、誰が空気に感謝するというのだ。
というのは、naïveに過ぎるだろうか。たぶんそうだろう。だからまあ、そういう本音をタイミングよく隠すことくらいはできる。でも、隠すことがいったいどんなに利益になるのか。誰にとって。僕の役に立たない世界なんて、滅びてしまえばいいのだ。
みたいなことを、思ったりしつつ、まあ、これもまた、机上の空論。