andante

2016-07-28

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昨晩はμ'sのキャラクタ画像の蒐集手法について検討していたけどsafebooruだけじゃ思ったほど数がないあと単体で描かれているものも意外と少なくてじゃあ分離はどうするんですかという話になるそのままsemisupervised classificationに雪崩れ込み……はしないと思ううーんどうしよう


仕事はいろいろ調整Batch Normalizationのスケーリングをなくしたり初期値をよくあるヒューリスティクスに従って変えてみたりしたら分布の類似度はぱっと見で向上したような気がするんだけどそれで結果が良くなるのかはよくわからない

あとなんとなくやってみたかったのでZabbixで計算機のコンテナを監視できるようにしてみたんだけどずっと計算してるだけのコンテナを監視しても別にいいこと何もなかった残念


たとえばものすごく綺麗なものを見てそれを絵に描きたいと思うんだけど手許には色鉛筆が四色しかないとしたらそれでもなんとか描こうとする人もいるかもしれないし実際にそれで見事に描ける人もいるかもしれないけれど僕はそんな危険は犯せないなと思う青色で塗っておいて本当はこんな色ではないんだけどなんて註釈するのは馬鹿げているしそのこともいずれ忘れてこんな色だったんだと思い込んでしまうだろう僕はそんな危険は犯せないなと思う
何かを言葉にするのは多かれ少なかれそういうことだろうと思うそしてここでは僕はそれでもなんとか言葉にしようとしてしまう側の人間でそうして出来上がった全然違うもので上書きしてしまう側の人間なのかもしれないと思うだったら黙って風化していくのを見ていたほうがいいっていうのか


ぜんぜん関係ないけどだからこの上には罫線があるのですが

ずっと昔太陽系の惑星の絵のポスターを買ったとき僕と母とでそれを見ながら絵を描いたことがあった僕はなんというか教科書的な太陽系の模式図を描いたんだけど今思うとこれはエジプトの壁画を連想させるあるべきものをあるべき姿のままに母は緑とか赤とか何色も使って木星を描いていた木星はそんな色じゃないよと僕は惑星博士だったので言った僕がさっさと九つの惑星を描き終わってからも母はずっとその絵を見つめていたのだけどそれはたぶん絵を描くことを志して諦めた自分について考えていたんじゃないかと思う
母は数年前からまた絵を描きはじめているいまの僕とそうは変わらない年齢だった母は自分がまたそうすることになるとは思っていなかったかもしれない僕もまたいつか何かを再び始めることがあるのだろうかあるいはぜんぜん別の何かを