diary

0105

お昼から仕事。今日はテストデータを作るだけで精一杯でした。手作業が多くなりそうだったからと思ってスプレッドシートでやったけど、今思うとこれもrubyかなにかでやればよかった気がする。でもな、難しいロジックなんだからそこを手計算でやらないと意味がないような気もする。いや、別のアルゴリズムを使えば十分だったろうか?

あと不具合対応の工数を見積もったりしたけど、これはあんまり意味のある数字にならない気がする、まあそれでも漠然と量的に扱えるようになるのはそうでないよりマシだろうか。


「れ」が「ね」の、あるいは「め」が「ぬ」の書き間違いあるいはバリエイションではないのはなぜか。無論出自が違う。しかし我々は出自の違う複数の仮名文字を統合して正規化して今に至っている。それとどう異なるか。背負う音価が違う。これは妥当に思われる。では文字情報だけではたどり着けない差か。使用に着目すれば区別があることがわかる。これは上代八母音説のように主張できるだろう。


「あいつはもう終わりだ」のような言いかたはよくされるけれど、実際には何も終わったりはしなくて、命を落とさない限り日々は延長されてゆく。このような言いかたは欺瞞的である。ではそのような想像力はどこから混入したのか。いつ。


まどマギは、TV版においては正義と愛の対立が顕在化せず、あのリボンはその和解の証であり、愛を限定し縛り付ける鎖でもあった。そして同時に正義を信じる者が救われる話だった。映画においてはその対立がふたたび現れ、愛が貫かれた結果として正義にその鎖を突き返す話だった。ただ愛の対象が正義の具現そのものであったがためにああいった構造をとっている。そういう理解をしている。

正義は美しい。それと対比させられたとき、愛のなんと身勝手で歪なことか。