0910
※1.この物語の登場人物は、すべて十八歳以上です。
※2.この物語に人物は登場しません。
※1.この物語の登場人物は、すべて十八歳以上です。
※2.この物語の登場人物は、すべて十八歳未満です。
※⇒.この物語には人物は登場しません。
※この物語の登場人物は、あなたが十八歳以上であるとき、かつそのときに限り、すべて十八歳以上です。
※この物語の登場人物は、こんな物語にも登場しています。
昨晩はAppleの製品発表会があったはずですが、体調をなんとしても維持したかったので観ないで寝ました。まあ、今はそんなに新製品に興味ないしな。感圧タッチは便利そうだから多少気になるけど。
そういえばベッドとトースタと傘と靴を買いました。ベッドは十日後くらいに届くはずです。そのほかは土曜日の夜かな。
お昼から仕事。カスタムUIパーツを順当にぷちぷち作ってゆきます。そういえばXcode7のGMが出たので、明日はプロジェクト作ったりするでしょうか。いよいよSwift2です。
夜は昔バイトで一緒だった知人の会社に遊びに行って回らない寿司をごちそうになりました。二年分くらい寿司食べた気がする。おなかいっぱい。
あと会社のことをすこし聞いたけど、あんまり技術的な雰囲気はよくわからなかったな。うーん……。
でも教養学部時代のクラスメイトと久々に会えたのはちょっと嬉しかった。Twitterで毎日見てるけどさ。
お話を書いてみたいと思うのだけど、僕はもう、どんな人間を書いても僕になってしまうような感じがして、もうすこし詳しく言うと、僕みたいな人間に、ではなく、僕に、という話で、ほんとうに、僕が自分の声で話しているような文章になってしまう。こんな風に日記ばかり書いていたせいかもしれないし、そもそもそんな文章しか書けないから日記ばかり書いているのかもしれない。困った。べつに困りはしないのだが。
自明に真であるような命題について、「きっと」という言いかたはどの程度許されるだろう。たとえば、五年前に二十歳でそれきり会っていない人物について「きっと今は二十五歳だ」と言うことはできるだろうか。それとも、「きっと来年は2016年だ」とか、「きっと1+1は2だ」とか。前者は可能のような気がするし、後者は不可能のような気がする。その境界はどこにあるのだろう。
「シャッフル航法」読みました。うーん、目指すものはわかるのだけど、まだあまり成功しているようには見えない、という感じとか、あとはちょっと数理的主張に追いつけないところとか、いろいろ。表題作とか「∅」とかは要するにウリポなんじゃないのという気はする。
https://twitter.com/mattya1089/status/641298338890039296
これの新聞紙風のやつなんですけど、文字のようで文字じゃないものが文章のようで文章じゃない形に整列していてメッチャやばいと思いました。この方向どんどん進んでほしいと思う。
今日は饒舌。