0612
すこし遅く起きて会社に行ったのだけど、行く途中でひどく気分が悪くなってしまって、とはいえ行けばそのうちなんとかなるだろうと思ったのだけどぜんぜん良くならなくて、これは参ったやっぱり帰るか、というところでロキソニンを飲んだら改善したので結局仕事をしました。なんだこれ、この三日間の僕を支えていたのはロキソニンの解熱作用だったというのか。まじかよ。無理させてごめんな……。
仕事はまあ具合悪いなりに順調。Apple Watch対応など。これの検証は最終日にやる予定なので、土日に作業する必要はなさそうです。ゆっくり休もう。
ユーフォ八話からずっと心の中に埋まっている「特別になりたい」について。
高校時代の僕は、「自分が特別だと思ってるだけの奴」だった(それ以前には、「特別さ」への渇望から来るマジモンの黒歴史が横たわっている)。高校で出会った友人たちと雑談する廊下は、世界で一番おもしろい場所なんだと思っていた。それは紛れもなく、自分は特別だという無邪気な思い込みで、それが思い込みに過ぎないところまで含めてありきたりなそれだった。その思い込みは大学に入ってから徐々に色褪せて、四年生になるころには完膚なきまでに打ちのめされて、そしてもう戻ってはこない。
でも、今はもう、そういう渇望みたいなものは感じない。僕は集団の一員として特別であることはできなかったけれど、僕が僕であるということは僕にとってのこの世界において、圧倒的に、どうしようもなく、特別なことなのだ、という理解が僕を支えている。僕は初めから特別で、しかもそれは僕が僕であるというだけで特別なのだ。このひどく陳腐な確信に至るまで、何年掛かったか知れない。きっと初めから知っている人もいるのだろう。でも僕には独我論や自由意志なんかを経由する回り道が必要だったし、それは無駄ではなかったとも思う。