diary

0618

お昼から仕事。前ステップの不具合対応(たぶん最後)と次ステップの開発。次ステップ以降に遠大なリファクタ計画を立てているのだけど、八月以降の仕事がなさそうな感じらしいので準備だけして実行されないかも。永久お蔵入りとかはちょっと悲しい。


appleのサイトでmac proをカスタマイズして遊んでいたら76万円になりました。でも前にやったときは100万を超えた気がするので物欲の抑制に成功しているといえます。問題は76万でもぜんぜん買えないということですが。
iMacにすると妥協抜きで40万円くらいになります。これならもしかして!と思います(正気か?)。でもどうせ大金なんだし最強のがほしいなーという想いもありつつ、たかが計算機にそんなに大金かけてどうするの、とも。しかし(ご存じの通り)僕は道具は最高のものでないと気が済まないたちなのです。なにかができないとなったとき、それが道具のせいだったらとても悔しいから。
まあいずれにしても買うのはYosemite以降です。買うこと自体はたぶんほぼ確定かなー。メインマシンがwindowsであることにもはやメリットを感じなくなってきたし、仕事でmac使ってるとそっちのがずっと便利っぽく思えてきたので。ターミナルとの距離とか。windowsもいろいろカスタマイズしたら同じくらいになるのかもしれないけど、なんかもうそこまで執着ないかなーって。この子は棄てるにはちょっと早い気もしますが(この秋で三年かな)。


小学校で英語を教えようみたいな話、あまり賛成できないなーと思います。なんというか、インテリの絵空事感がある。僕の想像では、英会話ができることが仕事上必須であるような人間ってのはおそらく上位一割とかそういう狭い世界で、そしてそういう層の人間は必要になれば英会話くらいサクッと身につけられるイメージです。そんなことより小学校ではもっと教えるべきことが山のようにあるはずで、コミュニケイションの幅を広げるよりもまずまともにものを考えられるようになるべきです。江戸しぐさやら水からの伝言やらを英語圏に発信してどうするのか。英語に切り替えるだけで会話が知的になるとでも思っているのか。
、という主張の何割かは僕が英会話できないことに由来しているのだけど、それにしたってなにかを違えているような気がするのです。英語教育推進論者はそのあたりをどう考えているのかしらね。