0225
昨晩は憂鬱でした。
僕は僕が精神に困難をきたしていたのだとほんとうに信じていたかのようであったがそれはまったくの思い込みデタラメであり実際のところそれは仰々しく演じられた逃避でしかなかった。それがたまたま成功したかのように見えたのはただ呆れられたからであって僕の訴えが認められたからではない。そして僕はこうして自分に指摘する、僕はただ逃げたのであると。しかしそれはただある種の構造が自己言及する複雑さを持っていたという事実それ以上のものではなく実際に指摘されているのは僕の欠陥などではなくある構造の性質である。無論その事態を僕はさらに指摘するがそれもまた僕に対する指摘ではない。僕は反省するということをしていない(以下「それもまた僕に対する指摘ではない」を省略する)。僕は裁いてなどいないし赦されてなどいない。僕はただ逃げただけだ。そのことを思い出した。僕はそんな風に醜い自分を自分であると掲げて生きてゆくことにもはや耐えられない、などという発言それ自体の醜さを背負ってゆくことにも耐えられない。いままた僕はこうしてひとつの構造の性質を指摘したわけだが僕がそのような作業を通じてなにをしているのかというと、僕は自分を表現するもっとも華麗な構造を探しているのである。僕はただ自分を題材に上手いことを言ってみたいだけなのである。このように記したことでそれはまた一つの構造を指摘する。しかしそれは僕ではない。
なぜならば本心から上記のようなことを考えているのならば僕は躊躇いなく死ぬべきであり、それを怠っていることはすなわち上記が本心とはかけ離れた内容であるからである。そうではないとどんなに主張してもそれを示す唯一の手段である死を僕は選ばずにいる。という議論によって僕はまた一つの(よく知られていた)構造を指摘したのである。
昼から仕事。不具合対応をいくつかしたけれど、だいたいにおいて暇。Objective-CにおけるDeferredの実装がまとめられていたのでソースコードを読もうとしたけれど、自分にちょうどいい複雑さのものを見つけることができなかったので途中で投げてしまった。ああしたものを読み解く能力がまだ養われていないように思うのですこし抵抗してみなくてはいけないのかもしれない。
あとほったらかしになっていた追加仕様について考えたりもした。引き継いだプログラム、モデル部分は拡張性が高い設計になっているので、既存部分への影響をきちんと考察できればうまくできそう。最初の仕様からこういう設計を自分で考えられただろうかと自問するがよくわからない(僕は自問というやつが下手だ)。できなくてはいけないのだろうとは思う。道は遠い。人生も長すぎる。
今日は暇だったので早めに帰ってきました。本を読んでいます。早めに寝て遅めに起きよう。