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お昼からバイトだったので、家を出るまで十五分くらい時間があるなと思って、目覚ましをかけて十五分だけ眠ろう……、と思ったら一時間経っていました。えっ(すみませんでした)。
バイトはまた暇。ちょっとしたコードを書いて(あれあんまりエラーチェックしなかったけど大丈夫なんだろうか)、あとはいろいろ調べごと。うーん、そういう時間になにかできることがあるといいんだけど。
明日からは新しい案件に入れるようなので、まあ明日以降に期待、というところ。
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こういうの前にもあった気がするけど、まあせっかくなので。
たとえば、世界が決定論的で、一時間後の僕の感情があらかじめ決められていたとする。そうすると、僕が一時間後にその感情を感じたとき、その感情の情報量はゼロなのではないか、というようなことを(かつて)思っていた。他の感情を抱くことがありえない状況で、その感情に意味があるのか。べつに感情に限らなくとも、思考でも、行動でも。そうして僕は僕さえも存在しないかのように思われてしまったのだった。
だけど、そう、たとえば、夢の中で「これは夢だ」と思ったとしてもそれはほんとうの理解ではない(単にそういう夢でしかない、なぜなら合理的に推論することができないから)ように、この世界があらかじめ決められたとおりに動いていると思うことは、正しい理解ではありえない。ほんとうにそうだろうか?たとえば物理学はとてもうまく将来を予測できる。それはこの世界がそういう予測可能な性質を持っているからではないだろうか?(そしてそこまではこの世界の内から合理的にたどり着けるのだ)もちろん、世界がいつまでも既存の物理法則に従っているなどというのは信仰にすぎないけれども。いや、たとえ物理学が成功しているからといって、そんなものは世界の内側の言葉にすぎないのか?それは世界が内側から見てそう動いているということしか語っておらず、外から見た世界がやはり同じようになっているという意味には決してならないのか?