diary

0924

朝起きたら寝坊していたので保健センタに三十分遅れますと電話しました。はあ、寝坊したのもあれだけど電話したのもあれだった。電話したら出たのがカウンセラの先生で、あとで「はきはきとしゃべっていた」と言われたのだけど、僕は小学生のときにも同じことを友人の親に言われていて、たぶんこれは自分がしゃべる手順のことしか見えていない(聞こえていない)ことによるのだと思う。電話によく用いられる定型句(「お忙しいところすみません」とか)をしゃべっているあいだ僕はほとんどなにも考えていないしなにも聞こえていなくて、ただ自分の言葉を相手に押しつけようとしている。そういう種類のコミュニケイションはよくないと思うのだけどな。

三十分遅れのカウンセリングは輪講のこととか。輪講のこととか輪講のこととか輪講のこととか、ああでもなに話したんだっけ。なんかそう、今後の展望みたいな形でまとめれば考察とか足りてなくてもなんとかなると思うよみたいな話だった気がする、よく思い出せない。よく思い出せないのは前からそうだったのか最近になってからそうなったのかわからない。よく思い出せない。
やっぱり大学院をやめたい気持ちが強いのですと言ったらそれはそれでサポートするけれどとりあえず発表に向けて動いてみてからでも遅くないんじゃないと言われたような気がする。でも発表したくないからやめるのにそれでは遅いような気もする。はああ。なんでやめたいやめたい思いながら続ける必要があるんだろう、そんな日々になんの価値があるというのだろう。

大学院をやめたい気持ちが高まりすぎてそれを正当化するようなストーリーを考え始めるに至りました。それはこうです:これは僕のモラトリアムの終焉であると。ただ就職したくないというだけの理由で入った大学院が、就職したいという理由で棄てられる、それはきわめて健全なストーリィではないかと。僕は自分のリソースをなにに配分すべきかをずっと悩んできた、その過程がモラトリアムであったのならば、それをすでに見つけたいま、大学院に残る必要はないのだと。ああ、そうやって困難から逃げる自分を正当化するのはみっともない、格好悪い、だけど僕はもう深く考えるのがいやになりました、僕はこれ以上ここにいて苦痛を感じつづけるのはもういやです、たとえどんなに茨の道であろうとも、せめて前向きになれる場所にいたいと願うのは罪でしょうか、などなどなど。みっともないですね。だけどこのみっともないけれどなぜか勇気づけられる言葉に僕はすっかり酔いしれていて、明日これを保健センタの医師に話そうかなどと考えているのです。ああ、だけどボスたちはどう思うだろう、彼らとは僕がひとりで話し合いにゆかねばならないのだ、僕はどんな言葉を浴びせられるのだろう、僕は説得に弱いからな、それに目の前でひとが残念がるのを見るとほうっておけなくなってしまうのだ、僕の選択でそのひとを喜ばせられるのならと思ってしまうのだ、思えば僕はいつもそうやって母に習い事を増やされていたなと思う(少なくともボーイ・スカウトに入ったのは完全にこれのせいだ)。話がそれた。とにかく僕はちゃんとボスたちを説得することなどできない気がする。それになんといってもこれは逃げのために作られたお話にすぎない、僕をちゃんと導いてくれるお話ではない。だけど、そう、僕は僕を救わなければならない!僕とともに戦ってくれるひとなどいないことを忘れるな!僕は生きるよ、僕はきっと生きるよ死ぬのはいやだよ、だから僕は自分が死にたくなるほど苦しくなってしまう前にそこから逃げる、それは僕という生に課された義務でさえある!(ああ、僕はまた自分でもよくわかっていない情動に突き動かされている!)ああ、やっぱり僕は明日医師と話さねばならない、そうしよう、きっとそうすればよくなると思う……。

午後はバイトでしたがもうすぐ日付が変わってしまうのでとくに書きません。


明日は午前中保健センタ、午後は図書室。