diary

0903

ドラえもんの-99歳の誕生日ですね。
僕はずっと幼いころ、ドラえもんに会いたいと思っていて、だから長生きするにはどうすればいいですかと母に訊いたら、ひじきを食べなさい、ひじきは鉄分が豊富だから、と言われたのを憶えています。


午前中に保健センタで採血の結果を聞いたのですが、どうもいっしょにやった尿検査でちょっと糖が出たらしく、またしばらくして(来月くらい)血液検査をしましょう、ということになりました。えー。ってか僕大丈夫なのか。この歳で糖尿病はちょっと遠慮したいぞ。まあ、きっとだいじょうぶでしょう(根拠のないものを信じるのかい?)

午後はバイト。前回悩んでいたところをぷちぷち潰しましたが細かいところをちまちま作るのにけっこう手間取って、結局全部は終わりませんでした(ほとんど終わったけど)。これが一番いい解法だったのか、とても不安になります。でも、いちばん綺麗には違いないと思うから、まあ、いいか。
あと後輩に二回ほど相談されて困難を撃墜しました。先輩の面目。

夜はちょっとプログラミングしています。Objective-Cのランタイムをゴニョゴニョして、プロパティ宣言から動的にアクセサを作るところ。低レベル文字列操作が次々飛び出してくるのでgoogleで検索しながら殴り倒す。


たとえば、現実にいる人に意識が存在すると考えることと、夢の中で会った人に意識が存在すると考えること。この二つはどのくらい隔たっているだろうか。
現実をゼロ階の夢としよう。普通の夢は一階の夢、夢の中で見る夢は二階の夢だ。ゼロ階の夢と一階の夢は、ゼロ階の夢は夢ではないという意味で異なっている。だから、ゼロ階の夢の登場人物には意識があって、一階や二階の夢の登場人物には意識がない、そういう主張ができる。
でも、ほんとうに現実はゼロ階の夢なのだろうか。もしここが一階の夢で、普段見る夢が二階の夢であったとして、我々はそれに気づくことができるだろうか。できないのではないか。もしそうなら、我々がいま直面している世界を現実すなわちゼロ階の夢とみなす根拠はどこにもないことになる。それなら、実は目の前にいる人間の意識なんて夢の中で想像された意識と同じようなものなのではないか。
そもそも、夢の一番浅い場所、ゼロ階の夢なんて存在するのだろうか。ただそこには、「夢の夢」と「夢」との間に「夢である」という関係がある、というだけで、どこまでいっても夢から醒めることなどないのではないか。
というようなことを考えていましたが、よくわからないです。でも、僕は想像の中の誰かと目の前の誰かとをどれほど異なる存在とみるべきなのか、よくわからなくなってしまいました。目の前にいる誰かだって、目に映った映像でしかないわけです。それがゼロ階の夢なのかN階の夢なのか、それは誰にもわからないはずです。水槽脳仮説と近い話にも思えますね。

夢と塵理論。夢の中でたしかにその人物は計算されたのだから、僕が夢から醒めたとしても、一度「発進」した夢の世界は続いてゆくのではないか。どこかで。


明日は午前中に保健センタ。いつもよりちょっと早いので早起きしなくてはいけないでしょう。午後は研究室ですがまあどうせ図書室。昨日準ボスと議論した箇所をすこし条件を変えて再計算する感じ。