andante

2013-09-03

0903

ドラえもんの-99歳の誕生日ですね
僕はずっと幼いころドラえもんに会いたいと思っていてだから長生きするにはどうすればいいですかと母に訊いたらひじきを食べなさいひじきは鉄分が豊富だからと言われたのを憶えています


午前中に保健センタで採血の結果を聞いたのですがどうもいっしょにやった尿検査でちょっと糖が出たらしくまたしばらくして来月くらい血液検査をしましょうということになりましたえーってか僕大丈夫なのかこの歳で糖尿病はちょっと遠慮したいぞまあきっとだいじょうぶでしょう根拠のないものを信じるのかい

午後はバイト前回悩んでいたところをぷちぷち潰しましたが細かいところをちまちま作るのにけっこう手間取って結局全部は終わりませんでしたほとんど終わったけどこれが一番いい解法だったのかとても不安になりますでもいちばん綺麗には違いないと思うからまあいいか
あと後輩に二回ほど相談されて困難を撃墜しました先輩の面目

夜はちょっとプログラミングしていますObjective-Cのランタイムをゴニョゴニョしてプロパティ宣言から動的にアクセサを作るところ低レベル文字列操作が次々飛び出してくるのでgoogleで検索しながら殴り倒す


たとえば現実にいる人に意識が存在すると考えることと夢の中で会った人に意識が存在すると考えることこの二つはどのくらい隔たっているだろうか
現実をゼロ階の夢としよう普通の夢は一階の夢夢の中で見る夢は二階の夢だゼロ階の夢と一階の夢はゼロ階の夢は夢ではないという意味で異なっているだからゼロ階の夢の登場人物には意識があって一階や二階の夢の登場人物には意識がないそういう主張ができる
でもほんとうに現実はゼロ階の夢なのだろうかもしここが一階の夢で普段見る夢が二階の夢であったとして我々はそれに気づくことができるだろうかできないのではないかもしそうなら我々がいま直面している世界を現実すなわちゼロ階の夢とみなす根拠はどこにもないことになるそれなら実は目の前にいる人間の意識なんて夢の中で想像された意識と同じようなものなのではないか
そもそも夢の一番浅い場所ゼロ階の夢なんて存在するのだろうかただそこには夢の夢との間に夢であるという関係があるというだけでどこまでいっても夢から醒めることなどないのではないか
というようなことを考えていましたがよくわからないですでも僕は想像の中の誰かと目の前の誰かとをどれほど異なる存在とみるべきなのかよくわからなくなってしまいました目の前にいる誰かだって目に映った映像でしかないわけですそれがゼロ階の夢なのかN階の夢なのかそれは誰にもわからないはずです水槽脳仮説と近い話にも思えますね

夢と塵理論夢の中でたしかにその人物は計算されたのだから僕が夢から醒めたとしても一度発進した夢の世界は続いてゆくのではないかどこかで


明日は午前中に保健センタいつもよりちょっと早いので早起きしなくてはいけないでしょう午後は研究室ですがまあどうせ図書室昨日準ボスと議論した箇所をすこし条件を変えて再計算する感じ