0924
昨晩からまた恐慌。あと十日以内に死ぬか消えるかセミナ準備を終わらせなくてはいけません。二番目が一番簡単ですがその先がありません。一番は準備が十日で間に合わなさそうです。二番+一番、とかいいのかもしれません。しないけど(ほんとうに?そう言わないともっと面倒だからじゃなくて?)。
セミナ準備、論文は読んでいますが人に説明するほどの内容がないものばかりで困りました。というか僕は人に説明するのが下手でした。人と話す気がないからだと思います。僕は僕がおもしろいことを知っているか考えているかだけが大事なのであって他人がなにを理解していようがどうでもいいのです。違うんですか?
午後から研究室。なんとなく同期とキャッチボールをして疲れました。昔とった杵柄とはゆかぬものですね(べつに昔は上手かったとかいうわけでもない)。疲れただけで別に不安が解消されたわけでも消滅したわけでもないのでとても残念でした(そんなことを確かめるためにやったわけではありません)。
そうだ、研究室で買ったパソコンの代金の支払いが手続きの都合で期日に間に合わないらしいので電話しなくてはなりません。かなしいです。メモリも替えてもらうので電話しなくちゃいけないし、かなしいです。電話は苦手です。こわいです。
そういえば留学生のバックアップをしているらしき事務所からチュータ宛てにメールが来ていくらかの資料をもらったのですが、入学手続き期間がとっくに終わっていて心配です。これは留学生がもう手続きをやっているということなのか、向こうの手違いなのかはよくわかりません。前者だとすると僕はいったい何しに事務所についてゆくのかよくわかりません。手続きすること残ってない気がする。書類を受けとる?
メールもまだ返事をしていません。つらいです。
僕の代わりにいろいろのことをしてくれる、そういう人間がほしいです。もう僕はつかれてしまった。苦手なことばかりを要求されているような気がする。仕方ないさ、得意なことなんかないんだから(北極から見れば、どこだって南さ!)。だから僕はやっぱりもう、生きていてはいけないのだと思うし、生きてゆけないのだと思う。そろそろ頃合いなんじゃないだろうか。僕が生きてゆけないことがきちんと明らかになる。そんな気がする。
つらいことがたくさんあります。今夜はゼミの教科書を読んで、早めにねむりたい。眠られなかったら論文も読む。
大人になって、曲がりなりにも社会との接触面積が大きくなって、この世界にはどうしようもなく品質の低いものがあふれているのだなと思うようになりました。きちんと思慮のつくされていないさまざまなものたち。なんだかつまらない理由で為し崩されてゆくものごと。それらはきっと、僕があまりお金を持っていないから視界の中で存在密度が高いのだと思います。僕がちゃんとお金を出しさえすれば、きちんとした思慮のゆきとどいたような、それともなにか品質の高い、そういったものがたくさん周囲に置けるようになるのだと思います。だから僕はお金をたくさんもらわないといけない。貧困のなかにあっては僕の回りにはひどくぎすぎすした、うつくしくない、そういうものばかりが置かれるようになってしまうだろう。そうではなくて、僕はたくさんのお金を払って、すみずみまで思慮のゆきとどいた、しゃんとした、正気の、きちんとしたものをたくさん手に入れて、自分の周囲をそういったもので防御してゆかなくてはならないのだと思います。
僕は、人間らしさとかそういったものの称揚がとても嫌いです。
僕は、人間が最高に人間らしくあることによって、ほんとうにとてもひどい状態にどんどん陥ってゆくような話がきっと好きです。
僕は人間を倒したい。人間概念の神聖さを剥奪したい。致命的に貶めたい。泥だらけの靴で踏みにじりたい。人間性という意味不明なものたちの顔面を殴りたい。
たぶんほんとうは、嘲笑したい。
ああ、きっと、いらいらしている。かなしい。僕はこんな人間だったのだろうか。